ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

善良な両親でも悪い種を蒔くかもしれない事を受け入れる

 上記の題はニューヨークタイムズ7月12日に載った記事にありました。書いたのは医学博士のリチャード・フリードマン氏です。
 親子関係のもつれは米国だけでなく、日本でもおなじみの事です。氏は幾つかの事例を挙げていますが、その解決はなかなか難しいです。
 最初の例は知的でモノをはっきり言う40代の母親です。その子は成長するに従い、別の子どもたちと喧嘩をよくし、親友は居ません。彼女はその性格を変えようと努力しましたが、何も変化はなく、17才近くまでなると人々に対して不親切で思いやりがなくなり、家族に挑戦的で口汚く罵るようになりました。
 これまでも多くの精神科医に相談し、いろいろなテストを受けさせて来ましたが、精神的にも悪いところがなく、学習能力も正常だったため、もうその母親はなすべき事がなく、鬱と不安でフリードマン氏にカウンセリングを願い出ています。
 氏によれば、母親はどちらかというと自由放任主義的で、父親は家族のかしらとしての強い役割を果たしていません。でも他の二人の子は適応性のある極めて良い性格に育てています。ですから氏も両親がそんなに悪かったら、どうして他の二人の子をそのようにうまく育てる事が出来ただろうかと問うています。しかし母親はその問題の子に対して、しばしば怒った経験はあるそうです。そこで氏の結論としては、精神病理学的に見て「悪い子」はおらず、ただ「病んだ子」だけで、そうした面からの治療が必要だという事でした。
 そして一息入れてから氏はだいたい次のような事を言っています。つまり心の健康に関わるプロたちは、長年にわたり子どもの事を「本質的には善良で」、環境によって悪くなるだけだと見ていたと。慢性的な悪い振る舞いの背後には、悪い両親がいるに違いないと。完全にすばらしい両親でも、「毒のある」子を生み出す可能性がある、という事実は残るのだと、フリードマン氏自身は言っています。
 もう一つの事例は、今35才になる子が気短で、両親に対して粗暴であるというものです。母親が重病でも電話を取ってあげたり、Eメールを出しても上げません。両親はぐったりして、そんな待遇をした覚えもないのに、なぜ息子は自分たちの事をそう悪く扱うのかと訴えています。
 フリードマン氏も親に同情しています。また最も悪い両親と家庭環境でも、はつらつとし成功への道を歩んでいる子がいる事に、氏らは驚嘆しています。
 続けて氏は誰でも良い子に成長するわけではないし、それは親の失敗や貧困な環境のせいとは言えない、と言います。
 結局のところ、親の子に対する感化の力には限界があり、子がどう(悪く)なるにしても、親は早急に責めを負うべきではないという事を氏は主張しているようです。
 では聖書はどう言っているでしょうか。
 それこそ多くの事例があって、このブログではとても挙げ切れるものではありません。
 しかしこの親の子に対する責任としては、「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって主の教育と訓戒によって育てなさい」(エペソ6:4)とあり、善悪の定かでない子をしっかり聖書のみことばで教育・訓戒して育てる事であり、十分成長してから顕現する悪については、「子は父の咎について負いめがなく、父も子の咎について負いめがない。正しい者の義はその者に帰し、悪者の悪はその者に帰する」(エゼキエル18:20)というみことばに尽きるのではないでしょうか。フリードマン氏も暗にそれを理解していると思います。