ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

楽譜通りの演奏に嫌気がさして逃避した先で全てを盗まれ、何もなくなったところで自由の喜びを味わった女性ピアニスト兼作曲家

 川上ミネさんは、3歳からピアノを学び始め、ドイツのミュンヘンへ留学し、そこの国立音楽大学修士課程を卒業して本格的な演奏活動を開始しました。
 このピアニストの世界ですが、楽譜を見ながら一日中数時間ひたすら練習を続け、暗譜するまで頑張るのでしょう。私には想像も出来ない事です。室内楽やヴァイオリニストとの共演では、時々横に座って楽譜をめくってくれる人がいます。協奏曲ではその余地がないという事でしょうか。特にラフマニノフの第三番など、鍵盤の端から端まで豪快に手が動くので、暗譜でないと無理なのでしょう。でも逆に何かの拍子で忘れてしまい、演奏が中止になった例もあるそうです。確かアルフレッド・ブレンデルのような大家でも、それをやらかしてしまったのを聞いた事があります。
 というわけで、川上さんは演奏活動に入っても、毎日毎日楽譜に忠実に弾く努力を続けていました。ところがある日突然何もかも嫌になってしまったそうです。理由は楽譜通りという事で、そこに自由がない、そんな人生と決別したいというのが、理由でした。
 そして聖書のヨナと似て、スペインへの逃避行を行いました。スーツケース一つで(ヴァイオリニストなら楽器持参という事もありますが、ピアノでは無理です)。
 しかしマドリードに到着した時、試練が川上さんを襲いました。何と強盗の目標にされ、パスポート、財布、荷物の全てを強奪されてしまったのです。
 それが私だったら、さぞ途方に暮れたでしょう。ヨナのように主である神に文句をつけたかも知れません。言葉も通じないようでは絶望的になり、死んだほうがましなどと思うかも知れません。几帳面で完全主義的な人に多い鬱状態のなれの果てです。
 でも川上さんは違いました。彼女はこう言っています。「でもその時、おなかの底からすごいエネルギーが突き上げてきたのです。私は自由になったんだという歓びでした。何もない、生まれたてみたいな気持ち」。
 そして彼女は今、ピアノと共に自由に音楽を生きているそうです。これは凄い事ではないでしょうか。貴重なモノは失ったかも知れませんが、代わりに真の自由を得た歓び、私たちにもよく伝わって来ますね。
 ところで聖書でも次のようなみことばがあります。
 「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい」(ガラテヤ5:1)。
 若い頃よく通った国会図書館ですが、その法の前文には「真理がわれらを自由にする」という一節があります。これは主イエス・キリストが弟子たちに対して言われたみことばからとられています。
 「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします」(ヨハネ8:32)。
 私たち信徒は旧約の律法という「楽譜」から解放され、キリストのみことばという「負いやすいくびき、軽い荷」の中で、ほんとうに自由に生きています。