ルーズベルト大統領の唱えた4つの自由
2012年7月9日のハフポストサイトでは、リチャード・トラムカ氏(米労働総同盟産別会議議長。「ウォール街を占拠せよ」のデモを支持)が、「自由はただではない=Freedom Is Not Free」という題で記事を書いていました。
この自由はただではないという言葉は、一般に米国海軍のネッド・ドラン(Ned Dolan)という人が発したものだそうで、ワシントンD.C.(コロンビア特別区)にある朝鮮戦争戦没者慰霊碑に刻まれています。米国民の自由は米海兵隊の犠牲の上に成り立っているという意味になるようです。
トラムカ氏はこの言葉を信じているものの、今の企業や右派の政治家たちは、この言葉を軽んじている(=安くしている)と主張しています。そしてサラ・ペイリン(元共和党副大統領候補)の言葉を引用しています。オバマケアと呼ばれる健康保険法改正が最高裁で合法とされた後、サラ・ペイリンは「オバマは嘘をついている。自由は死ぬ」などと言いました。違反者への罰金は課税であり、実質中間所得層に負担を強いる増税政策に他ならず、公約違反だから「嘘」であり、国民の大半に保険加入を義務付けた事は個人の自由を侵害するものだから、「自由は死ぬ」というわけです。(共和党の主張は)病気になっても医療保険無しで済ませる自由の事だろうとトラムカ氏は語っています。
トラムカ氏は保守派の唱える他の「自由」に言及した後、1941年にフランクリン・ルーズベルト大統領が出した人類の普遍的な4つの自由を持ち出しています。これは私には初めての言葉で、早速調べて見ました。私見では戦後の大統領とは比較にならないほどの識見を持った言葉だと思います。
それは第一に世界中至る所での「表現の自由」です。第二に世界中至る所で、個人がおのれの仕方で「神を礼拝する自由」です。第三に世界中至る所での「欠乏からの自由」です。第四に世界中至る所での(戦争の)「恐怖からの自由」です。
トラムカ氏はさらに自分としては「団体交渉をする自由」を加えたいと言っています。
この演説は欧州におけるナチス・ドイツ軍の脅威を背景としたもので、米国が苦戦している各国に支援をし、米国民だけでなく万人の権利である普遍的な自由を守るという大統領の決意を表わしたものです。これが実現していれば、世界はかなり平和になったでしょう。
最後にトラムカ氏は、こうした自由が今日攻撃を受けているので、もし私たちが立ち上がり、それらの為に闘わなければ、皆が大きな代価を支払う事になるだろうと結んでいます。
これは直ちに聖書のキリストを想起させます。パウロによる信徒たちへの勧めの中に出て来る言葉です。
「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい」(コリント第一6:20)。
ここで代価とはキリストの尊い血潮という代価を指しています。そうでなければ私たちは罪の奴隷状態にあって、その報いとしての死を迎えなければなりません。誰も代価を支払って「永遠のいのち」を手に入れる事は出来ません。しかしキリストが私たちの身代わりとして十字架で血を流す事により、奴隷解放の為の代価が支払われました。それゆえ信徒は神に買い取られた者として、自己の身と心をもって神の栄光を表わすべきだという事です。信徒が得ている自由は、キリストの犠牲の上に成り立っているのです。国会図書館のカウンターの上には「真理はあなたがたを自由にします」というギリシャ語の文が掲げられています。真理は福音の真理です。
「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします」(ヨハネ8:32)。
米国保守層はキリスト教徒であると自称しますが、自分たちの得ている自由が実はキリストの犠牲によるものという事より、自らの財力や知恵をもって獲得したものという間違った認識をしていると考えます。