ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

大場秀章著『バラの誕生』を読む

 シューベルトの歌曲「野ばら」は小さい時親しんだものですが、信仰を持ってから「イバラ」に関心を持ち、茨城にいた時空き地を開墾しながら、絡み合うイバラに手を焼いた事もあって、一度「バラ」について書かれた本を読んでみたいと思いました。
 そこで図書館から借りたのが上記の新書です。読んでみて思ったのは、バラに関心を持ち、園芸植物として育ててきた人々が古今東西ゴマンといた事です。著者はそうした多様な育種を紹介しながら、バラの基本的知識を私たちに与えてくれます。
 その中から私が得た新知識を聖書の主イエス・キリストとの絡みで考えて見ました。
まずバラに対する深い関心は、古代ギリシャ・ローマの時代に遡るそうです。まずギリシャではあまたの草花の中で人々の注目を集めたのは、その芳香のせいであるそうです。香りは悪魔よけ、健康や家族の安泰といった素朴な信仰と結びついていました。
 それがローマ時代に入りますと、関心は芳香以上にその花の美しさに向かいます。つまり色にはバラェティがあるにしても、そのどれもが清純な印象を与えたという事だそうです。純潔さを象徴する花として普及してゆきました。またローマの高官たちにとっては、バラは高い名誉を象徴するものとして重宝されました。
 初代皇帝アウグストゥスの時(聖書のルカ2:1で「皇帝アウグスト」として登場、その治世の時イエス・キリストがお生まれになりました)、バラは贅沢品ではなく日常生活に欠かせないものになりました。5代目の皇帝ネロはクリスチャンたちを迫害した事で有名で、暴君ネロと呼ばれていますが(聖書の使徒行伝25:11でパウロが上訴したいと願った対象であるカイザルはネロ帝で、パウロはAD64年頃ローマで処刑されました)、彼は「バラ狂い」としても有名だったそうです。晩餐会や酒宴の会場の天井から、来客にバラの雨を降らせたとの事です。
 またバラの冠作りもローマでは盛んで(起源はギリシャだそうですが)、ローマの属領であったパレスチナの地のユダヤ人たちも、その風習を受け継いだようです。
 そのバラですが、どんな種類のものでも低木で、その幹には例外なく茎や枝に「トゲ」があります。極めて鋭いもので、日本自生のノイバラを開墾の為に除去しようとした時、刺されてけっこう血を流しました。グーグル画像から借用したものを掲げておきます。白いきれいな花が咲きます。ドロボー避けにフェンスに絡ませるのが一番!

 この本を読むと、十字架刑直前のイエス・キリストが「いばらの冠」を被せられたのも、よく分かります。
 「また、兵士たち(*ローマ兵)は、いばらで冠を編んで、イエスの頭にかぶらせ、紫色の着物を着せた。彼らは、イエスに近寄っては、『ユダヤ人の王さま。ばんざい。』と言い、またイエスの顔を平手で打った」(ヨハネ19:1−2)。
 救い主イエスはこのいばらの冠のとげで御顔は血だらけになった事でしょう。十字架刑に先立つ残酷な儀式です。でもそれはローマの皇帝にふさわしい花冠を「模した」ものです。しかもこの時点でのイエスは、バラと同じく純潔で罪のない方でした。その直後の十字架で私たち全ての罪を負って死なれました。
 ですから一瞬の出来事でしたが、ローマ兵たちが嘲りのつもりで被せたいばらの冠には、イエスの高潔な王たる事が象徴的に示されましたし、終わりの日にはいばらでなく、純白のバラの花冠をつけた真の王として登場されるでしょう。