ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

自民党野田聖子議員の体外受精という自己中心主義に抗議する

 8月26日の朝日報道によると、自民党でかつて少子化対策に取り組んで来た事のある野田聖子議員が、米国の第三者から卵子の提供を受けて、現在事実上婚姻状態にある男性の精子により受精し、その卵を子宮に移植して妊娠が判明、それを公表したとの事です。
 野田議員は前にも或る男性議員と結婚、合計14回に及ぶ体外受精を試み、1度妊娠したものの流産し、その後離婚したという経歴の持ち主です。その一連の過程で自分の卵子に問題がある事が分かり、今回やっと妊娠、来年出産の予定だとの事です。
 少子化傾向で「子どもを産まない」と宣言している夫婦が多い中、野田議員はどうしても産みたいという意向を貫いたという事です。しかしネットや新聞の記事を見た限り、生まれて来る子どもには明らかに野田議員のDNAは含まれない事になります。
 これらは聖書の観点からすれば、神中心でなくまさに自己中心の大きな罪です。「愚か者は自分の道を正しいと思う。しかし知恵のある者は忠告を聞き入れる」(箴言12:15)。この聖句の前半を別の訳で見ますと「愚かな者の生き方は、自分の目に正しく見える」とあり、ヘブル語はこれに近いものです。
 まず第一に野田議員の大きな罪は、「男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となる」(創世2:24)という神の定められた結婚という制度を否定しました。それも数度にわたる体外受精を試みた結果流産してしまい、もはやその議員と一緒にいても「子どもは産めない」と勝手に考えたのかどうか、一体であるはずの体を引き裂いてしまった事です。
 第二にどうしても産みたいが為に、今回米国の第三者から卵子の提供を受けるという、罪深く神の全く祝福されない方法をとった事です。「見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である」(詩127:3)。聖書を見ますと、確かにはじめ不妊であった為、人々からのそしりを受けた女性たちが登場します。しかし彼女たちは信仰者で、神に祈り続けた結果祝福を得て、無事子どもを授かっています。しかし野田議員は神の定めた結婚制度から著しく外れ、当事者同士では子どもが産めない事が分かって、二人同意の上かどうか知りませんが、第三者卵子提供を受けるという自分勝手な手段を選択しました。野田議員は保守政治家として、どんな手段に訴えても子どもを得て、幸せな家庭を築きたいという、自分の目から見て正しいという道、自分勝手な愚かな道を選んだわけです。なぜそれが愚かなのでしょうか。生まれて来て、やがて大人になった時のその子の煩悶や苦悩を考えた事があるのでしょうか。子は事実を知って親から離れてしまう事だって十分ありえるのです。幸せな家庭が築けるというのは単なる夫婦の願望に過ぎません。
 第三に朝日の報道から見ると、野田議員は「不妊治療のステップとして、体外受精の先には卵子提供や代理母もある時代に入っている現実を認め、早急に法整備を進めていく時期に来ていると思います」と綴っています。現在信仰も何もめちゃくちゃになっている米国は別にしても、日本でそんな不法が合法として認知されつつあるのでしょうか。厚生労働省の審議会が7年前、「法整備を条件に第三者が匿名で卵子を提供することは認める」という報告書を出したそうですが、その認知の基準は何だったのですか。人間中心主義的な思いではなかったですか。しかし一歩譲っても、野田議員はその法整備がないまま、率先してそうした行為を行なってしまいました。本来国民の模範となるべき議員のひどい体たらくです!
 第四に議員のブログによれば、「おなかのこどもに罪はない」と断定していますが、聖書によればそんな事実はありません。「ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました」(詩51:5)。胎のうちから罪があるので、生まれて善悪を識別出来るようになった年齢から罪が顕在化してくるのは、聖書を知らずとも経験的に分かっている事です。
 聖書からとりとめもなく考えて見ましたが、神はこの子のいる家庭を決して祝福されません。みことばから断言出来ます。しかしその神もこうした罪深い行為に対して憐れみを抱き、野田夫妻が悔い改めに至る事を願っておられます。