ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

朝日新聞のアンケート「競争は好きですか」に対する回答の気になるところ

 朝日新聞8月28日号には「競争は好きですか」というアンケートとその調査結果が示されていました。朝日新聞アスパラクラブ会員およそ1万7千人に送った調査票のうち、4588人の回答を分析した結果です。
 それによりますと、競争は好きですかという質問に対して、およそ6割が好きではないと答えています。特に市場競争との関わりにおいて拒否反応が強く、この欄でコメントしている大阪大学の大竹教授によると、国際比較では13カ国中最下位だったそうです。
 新聞ではアンチ競争派の意見がかなり多く紹介されていますが、私としてはかなりまともな意見だという感想を持ちました。
 特に東京の42歳の女性の意見「学歴や職業、年収、既婚か未婚か、持ち家か賃貸などで人の価値を決める風潮には抵抗を覚える」というのが、だいたいの意見を集約していると思います。
 小泉内閣の頃明確化し始めた企業などの成果主義で、戦後曲がりなりにも保たれて来た企業社会主義が全く崩れ、現在追いも若きも皆競争の矢面に立たされるようになってしまいました。この競争に超然としていられるのは、ごく少数の富裕な人々だけで、その他多数はたとえ企業に入れても、常に競争を強いられ成果を挙げなければクビになるという強迫神経症的な立場を強いられています。そのような人々は朝日にもありますが、競争主義の最大の弊害であるストレスを一杯溜め込んでいます。そして一度そこから脱落し、会社をクビになると、家購入などでローンを抱えている人々は、たちまちホームレスになる危険性を孕んでいます。朝日で同時に始まった米国の中流家庭の崩壊ルポでも、同じような事例が目立っています。
 このストレスは会社・家庭・電車やバスでの些細な問題に対する暴力・暴言となって現れ、失業は生きる為の犯罪の温床となりつつあります。
 翻って競争容認派の意見を見てみましょうか。「自由社会では競争は不可避…」「競争は好き嫌いの問題ではない。生命の進化そのものが自然淘汰という競争の結果…」「競争なしには、社会を進歩させるどころか維持することも不可能」などとあります。なるほど。ここにはまさにダーウイン主義の思想にどっぷり浸ったというか、そうした思想を刷込まれて育って来た人々の姿があります。現代はおしなべてダーウイン主義の大合唱となっており、多くの人々の不幸の源泉です。
 そしてそれこそ私たちキリスト教創造論者が唾棄すべきエセ科学(或いは進化論信奉)です。上記の競争容認派の人々の言葉の行間に、競争に負けた人、最初から競争になじまない弱者などに対する憐れみの情など微塵も感じられません。全て自己中心的です。
 私たち信徒の集まりである教会は、断固そうした風潮を否定し、互いに相手の事を思いやり、へりくだって他人を自分より優れた者と考えている者が、そのようにして下さった神を毎日曜礼拝しています。
 「だれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい」(コリント第一10:24)。
 「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」(ピリピ2:3)。
 「兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい」(ローマ12:10)。
 教会は競争主義に疲れ、敗北した人々の「逃れの場」であり、「憩いの水際」です。
 救い主イエス・キリストの「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイ11:28)の呼びかけに答えて、競争の勝者も敗者も一度教会へ足を運んでみては如何ですか。