ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

ジョニー・エレクソン・タダのさらなる試練

 タイム誌電子版9月8日号にジョニー・エレクソン・タダ姉(キリスト教では信徒同士の事を兄弟・姉妹と呼びます)の事が載っていました。久し振りに彼女の写真を見ました。アミー・サリバン氏がインタヴューしています(http://www.time.com/time/arts/article/0,8599,2016484,00.html

 彼女は十七歳の時、アメリカ合衆国東海岸首都ワシントンD.C.近くのチェサピーク湾でダイビング中に、首の骨を折りました。四肢麻痺に陥り、すぐ側に助けてくれる人がいなかったら、確実に窒息死していたでしょう。そのあたりは『Jonie』という本になまなましく描写されています。英文ですが、数十年ぶりに読んで見て、わからない単語が多くあっても、光景がすぐに浮かんで来ます。
 彼女はそれより少し前に、救い主イエス・キリストを自己の主として受け入れていました。しかしその時の彼女はまだ未熟でした。「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです」(ヨハネ10:10)というみことばは、この世での豊かさ、例えば良い成績、すらりとした身体になり皆にもてる事など、肉欲的な事を想像してしまうからです。ですから医者との対話では、「あなたの脊椎は分断されています、私たちはその骨を互いに癒合させなければなりません」と言われた時、手術を受ければまた普通に立ち、手も動かせると思いました。
 しかし医者は無情にも「あなたの損傷は永続的で、手術が成功したからといってそれが変わるのではない」と告知しています。それを知って彼女は意気消沈し、主に死んだほうがましと願い祈り始めました。その時から彼女の苦痛と苦悩に満ちたリハビリが始まりました。
 しかしその後弁護士佐々木満男兄の言葉によると、彼女は「ベッドに固定されて天井を見つづけているという絶望のどん底で、キリストに希望と喜びを見いだしたのです」。
 療法士クリス・ブラウンは、自由になる彼女の口に鉛筆をくわえさせました。そして絵を描く訓練を辛抱強く続けさせました。ブラウンは卓越した療法士でした。やがて彼女は卓越した絵画家となり、車椅子の生活となり、病院を退院しました。このあたりは日本でよく知られている星野富弘兄の事例と全く同じようです。星野兄も口で自在に詩と絵画を書いており、群馬にある富弘美術館でそのすばらしい作品を見る事が出来ます。
 それからのジョニー・エレクソンは車椅子で全世界を回り、救い主イエス・キリストを伝えています。彼女は自分では何もする事が出来ません。その点での弱さは常に付き纏っています。「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」(コリント第二12:9)。私=パウロ
 60歳を越えた彼女ですが、まだまだ弱い人々を励ます為に彼女の仕事は多く残されています。
 しかし今度のタイム誌を読みますと、何と彼女は現在「乳がん」に冒されているそうです。アミー・サリバン氏との対話でも、時に化学療法に疲れ、主になさっている事が分かっておられるのですか?と祈る事もあります。私だってなぜですか主よ、と問いたくなります。でも彼女はその答えを知っています。主イエス・キリストが本当に関心を抱いておられるのは、求める人の肉体的癒しではなく、魂の癒しなのです。だからこそそれを賜物として得た人は、肉体的ハンディの中にあっても、いつも喜んで主を証し、人々を励ます事が出来ます。そして彼女は成立した米国障害者法普及の為に今も精力的に動いています。やがて天国で与えられる朽ちない完全な身体を夢見ながら。ほぼ身障者であるhateheiも心底からそれを望んでいます。