ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

特定著者の書物の出版バブル:茂木健一郎対内田樹

 読書家ならご存知のように、茂木健一郎氏は気鋭の脳科学者、内田樹氏は大学では仏文学を専攻しながら、現在一味違う幅広い評論活動をしています。
 この二人が自著に関する出版のバブルをブログで論じていますので、比較してみました。
 まず茂木健一郎氏のクオリア日記から(http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2010/08/index.html)。ここでは冒頭に池上彰氏の論評が載っています。「書店の中の、新刊台やらランキング台やらフェア台やら、いたるところに露出を増やし、その露出がゆえに書店員にあきられ、また出版点数が多いためにお客さんに選択ばかりを強い、結果弾けて身の丈に戻っていくのが書店『バブル』です」。池上氏は他にも勝間本のバブルも取り上げています。
 「『茂木バブル』は出版点数が増えるにつれて1冊1冊のつくりがスピード重視で雑になり、文字の大きさが大きくなり、内容が薄くなってきて、でもそれに対して書店での露出は増え、そして点数が多いことでお客さんが何を買っていいか分からなくなり、バブルが弾けました」。
 私は脳科学の第一人者である茂木氏の本を買っては読み、これまで過ごして来ました。しかし最近思ったのは、まさに池上氏が指摘している通りです。もっと専門家の立場からじっくり推敲し、読者に提供してくれれば中身の濃いものになるのにと思っていました。そこが小部数でも出る毎に面白い、同じ脳科学池谷裕二氏との違いだと考えました。
 それに対してクオリア日記で茂木氏は「どの本も、私のその時々の、目一杯の力を注ぎ込んだものです。それが結果としてバブルになろうが、何だろうが、それは仕方がない。勝間さんだって、池上さんだって、同じような気持ちじゃないのかな」と述べています。だとすれば、茂木氏は多くの本を作り、それに熱中して疲れ、「内容が薄くなってきて」いる事には無自覚になってしまったのではないですか。
 では内田樹氏のブログから。「http://blog.tatsuru.com/2010/08/31_0927.php」。
 まず別サイトの記事からです。「『日本辺境論』などのベストセラーで知られる仏文学者で神戸女学院大教授の内田樹(たつる)さんが、ブログ上で一部の自著の刊行にストップをかけることを宣言し、波紋が広がっている。旬の書き手に群がり、出版点数を増やす『バブル』を生み出しては、すぐにはじける。出版界のそんな“悪弊”を批判する行動…」。「『「バブルのバルブ」を止めることができるのは、書き手だけ』などと記し、4冊分の校正刷りの確認を“塩漬け”すると宣言。14日付で『日程がタイトであれば、書きもののクオリティはあらわに下がる』と理由を説明した」。これは全うな記事だと思います。
 そして内田氏はこの記事を受けて、「繰り返し書いているように、私は一般論を語っているのではなくて、『私自身について言えば』という限定の中で申し上げた話である。『こんなペースで本を出すのは厭だ』ということを言っているだけである。書くことが苦役だから、それを軽減してくれと言っているのではない…」。
 その後二人のバブルはまだ弾け切ってはいませんが、やはり出版バブルのバルブを止めて、じっくり練り鍛えた本だけを出していると思われる内田氏に、私は軍配を上げます。最近買って損したと思うのは茂木氏の本ばかりです。茂木氏には失礼!専門分野から外れて自己啓発というあらぬ方向へ向かっている勝間氏の本は表紙を見ただけで「アレルギー」になりそうです。これまた失礼!
 結局聖書の次のみことば通りだと思います。「わが子よ。これ以外のことにも注意せよ。多くの本を作ることには、限りがない。多くのものに熱中すると、からだが疲れる」(伝道者の書12:12)。