ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

チュニジア政変と前大統領の国外脱出

 1月18日の朝日社説によりますと、チュニジアで23年間強権政治を行なっていたベンアリ大統領が、政府批判のデモの最中、国外に脱出したとの事です。 チュニジアという国がアフリカのどの辺りにあったか、うかつにも知りませんでした。アサヒコムより地図を拝借。

 昔フランツ・ファノンが書いた『地に呪われたる者』を読んだ事がありますが、そのテーマがアルジェリア民族解放戦線による独立運動でした。そのアルジェリアの東隣がチェニジアであったわけです。アルジェリアの独立は1962年でしたが、それから26年経たチェニジアでは、ベンアリ大統領が就任し、長らく強権政治を行なっていた事になります。
 しかし彼を国外逃亡させた主役はアルジェリアのような民族解放政権ではなく、インターネットで情報を共有した市民たちの大規模なデモによったそうです。
 23年も政権の座にいればいろいろな腐敗堕落が生じ、市民たちの不満は鬱積していたに違いありません。
 それとは正反対の状況で国外脱出を余儀なくされた人物がいます。聖書の有名なダビデです。
 彼は最初ヘブロンの町で油注がれ、王となりました。その統治の期間は7年でした。そしてその後エルサレムで33年、全イスラエルとユダを治めました。
 彼には常に主である神がついておられたので、大いなる者となりました。彼は主が自分の為に「イスラエルの王として堅く立て、ご自分の民イスラエルのために、彼の王国を盛んにされたのを知った」(サムエル第二5:12)のです。その意味で最初からベンアリ大統領とは対照的でした。主が共におられなければ、「善政」など不可能でした。
 勿論彼に「罪」が全くなかったわけではありませんが、とにかく主の目にかなう人であり、「あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ」(サムエル第二7:16)と主は宣言されました。それは一般に千年王国の時代に成就する預言とされています。
 そのように主と共にあり、民と共にあったダビデですが、なんとその拠点エルサレムからの「逃亡」を余儀なくされる事件が起きました。
 ダビデにはヘブロン時代、三男となるアブシャロムが生まれました。そのアブシャロムが成長した時、長男であるアムノンを殺した為に、ダビデ王は彼をしばらく冷遇しました。その事もあって、アブシャロムは父親に反旗を翻し、ダビデの最初の統治の地であるヘブロンに向かいました。その時彼は全イスラエルに対する「情報戦」を展開したのです。まるでチュニジアで大統領を追放させる時市民が用いたネットという情報手段を用いた時のようです。
 その為一気に情勢が不利となり、ダビデ王は拠点のエルサレムから脱出したのです。「そこでダビデエルサレムにいる自分の家来全部に言った。『さあ、逃げよう。そうでないと、アブシャロムからのがれる者はなくなるだろう。すぐ出発しよう。彼がすばやく追いついて、私たちに害を加え、剣の刃でこの町を打つといけないから』(サムエル第二15:14)。デモの民を恐れたベンアリのようです。
 その後アブシャロムは悲劇的な死を遂げ、ダビデは再び王政復帰しました。ベンアリは果たしてどうなるでしょうか?対照的な二人の人物を比較してみました。