ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

新燃岳噴火の恐怖と聖書の神

 2011年1月26日鹿児島、宮崎県境にある霧島山系の新燃岳が噴火しました。写真は東大地震研究所から。

 この規模のものは今から52年前に起きたそうですが、江戸時代の1716年にもその記録があるそうです。
 今回の爆発は写真でも分かる通り、噴煙が3千メートルにも達する巨大な黒いものでした。
 しかしそれだけなら日本の活火山地域でごく普通に見られる光景でしょう。
 今回朝日の報道で関係地域の住民を恐怖と不安に陥れているのは、「空振」と呼ばれる現象でしょう。それは噴火の衝撃が空気を伝わる現象だそうです。
 それをもっとウイキペディアで調べてみますと、「火山が爆発的な噴火を起こすとき、火口において急激な気圧変化による空気の振動が発生し衝撃波となって空気中を伝播することがある。火口から離れるに従って減衰し音波となるが、瞬間的な低周波音であるため人間の耳で直接聞くことは難しい。空振が通過する際に建物の窓や壁を揺らし、窓ガラスが破損するなどの被害が発生することもある」と出ていました。
 その通りで霧島市は窓ガラスが300枚ほど割れたそうです。もっと近くの新燃岳周辺では「おなかの中にドーンと一発、体がおかしくなってしまいそうでした」「からだがぐらぐらふるえた」などといった証言が出ています。それと同時にガラスが飛び散ったわけですから、悲鳴があちこちで起きたのも当然の事でしょう。霧島市のホテル社長は「自然の力ばかりはどうしようもない」と嘆いていましたが、先の見えない噴火では恐怖と共にそうした諦めの気持ちも募るばかりです。
 ところで聖書では有名なモーセ十戒が記されている出エジプト20章の直前でこんなみことばが見つかります。
 「シナイ山は全山が煙っていた。それは主が火の中にあって、山の上に降りて来られたからである。その煙は、かまどの煙のように立ち上り、全山が激しく震えた」(出エジプト19:18)。
 ここでは「シナイ山」「火」「煙」「振えた」という表現から、何らかの火山爆発が推測されます。
 その火の中から主が山頂に降りて来られたという事ですから、山のふもとの民は山の激しい振動と共に心が震え上がったでしょう。皆恐れを抱いたのです。
 そしてその民の中から、主はモーセ一人を山頂に召されたのでした。他の民はみだりに主のところまで行く事を禁じられました。
 私たちはこの火の中から主が来られたという事で何を考えるでしょうか。絵空事と思われるでしょうか。しかしこの実在される主を信じられる人は幸いです。 「全地よ。主を恐れよ。世界に住む者よ。みな、主の前におののけ」(詩33:8)。
 この恐れる=ヤーレーという言葉は「畏敬する」という意味です。新燃岳の噴火でこの恐るべき主を畏敬する機会となれるようお祈り致します。勿論被害を受けられた方々が早く打撃から立ち直れる事もお祈り致します。