ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

福島第一原発で汚染された土壌を除くための実証試験始まる

 2011年6月11日の朝日新聞に、「稲作再開めざし表土の除去実験」ー飯館村という見出しの小コラムがありました。
 飯館村福島県原発からそう遠くないところ(南相馬市の西部)に位置し、今回の事故で「計画的避難区域」に指定されています。
 そこのホームページを見ますと、写真が載っていますが、村の宣伝に「阿武隈山系北部の高原に開けた豊かな自然に恵まれた美しい村です」とある通りのようです。4つの川が流れ、その流域で耕地が開かれ、水田が主体のようです。2010年9月段階では「日本で最も美しい村」全39町村等の中に入っています。

 しかし今度の福島第一原発事故により、南東部の一部だけが30キロ圏内に入っています。しかしその豊かな水田等の土壌から高い放射線が検出された為に、計画的避難区域に指定されてしまいました。村はこうした米作の他、牛を主体とする畜産も盛んであった為、村民の方々は突然の放射能汚染で極めて残念な思いをしておられるに違いありません。
 http://diamond.jp/articles/-/11978?page=2のサイトを見ますと、「まで(真手)いに」つまり手間を掛ける、手を抜かないという意味の方言があるそうで、牛の餌の選定から、有機肥料を用いたコメ作りなど、絶対に手を抜かず額に汗を流して牧草地、耕作地を作り上げて来たに違いありません。かつて私が10年ほど住んだ事のある茨城の鉾田周辺では、上の画像に似た場所もありましたが、鹿島台地の谷を見下ろすと、およそあらゆるゴミが山積し、関東圏としては最も汚い町(現在は市)でした。農家の高齢化もあって、農地の耕作は有機肥料などを使用しての土壌作りなどほとんど行なわれておらず、化学肥料が専らで、収穫の後は、トラクターで「天地返し」をしたり、新しい土を運び込んだりしていました。雑草も多く、猛毒の化学薬品をふんだんに用いて除去していました。
 飯館村は鉾田とは全く違った考え方で、その美しさを保って来たのでしょう。
 ですから朝日の記事に土壌汚染を除く為の実験田で、放射性セシウム137(その半減期はおよそ30年という長さです)が、作付け禁止の上限1キロあたり5千ベクレルを越えて8千ベクレルまで達したというくだりがあって、唖然とさせられました。
 実験を行なう中央農業総合研究センターは、表土を3センチ取り除けば放射性セシウムは大丈夫で、実施の結果5千ベクレルを下回れば、苗を植えて収穫時にもコメに放射性物質が移るかどうか調べるそうです。何とか農業が再開出来るようになれば、と農家の方々と共に切に願っていますが、果たしてどうでしょうか。最近発売された『原発のウソ」で、京大の小出裕章助教授は、農業において上記の表土を除去すれば耕作可能という説に疑問を抱いています。表土こそよいバクテリアなどが豊富で必要不可欠だからだそうです。結局は「何をやっても無理」という悲観的な思いを吐露していました。
 聖書のマタイ13に種蒔きの譬え話があります。
 「イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。『種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった」(マタイ13:3−7)。
 この譬えは救い主イエス・キリストの福音=良い知らせという「種」を蒔いても、人々の心の土壌がほとんどそれを受け入れない事を示す為でした。引き合いに出された実際の土壌では、放射能汚染は3番目のいばらに相当するかも知れません。そのトゲに比肩される放射能のトゲは鋭く、人々を寄せ付けません。執拗に刺し続けます。結局は収穫を阻害してしまいます。
 逆に事故を起こした全く不信仰で高慢な原発推進派の人々の心は、道端に蒔かれた種のようです。この状況を救い主は天でどう眺めておられるでしょうか?