ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

市場経済が人間を排除するという倒錯

 図書館で内橋克人著『<節度の経済学>の時代』を借りて読みました。2003年発行となっていますから、書かれている内容は一昔前のものといった感じですが、根底にある考え方は現在にも脈々と受け継がれていると言って良いでしょう。
 いや職なき多数派の時代が到来し「高度失業化社会」へと向かうという予測は、現在まさにその通りになりつつあり、米国ではもっと深刻になっていますから、内橋氏は現代の「予言者」とも言えそうです。
 述べられている問題は多岐にわたりますが、国際通貨基金IMF)が1970年代、経営破綻状態の新興国に対して「人道主義的見地」から援助を行なっていたのに、90年頃から大きく方向を変え、市場原理主義へと変質していったというくだりなど、私が学ぶべき事は多くありました。ブログにも書きましたが、近頃そのトップにいた実力者がセクハラなどの疑いで辞め、女性として初めてフランスのラガルド財務相が専務理事になったといった記事ばかりに目が向いていたからです。
 一通り読み終えた後、強烈に残った文章がありました。内橋氏は『経済の恐怖―雇用の消滅と人間の尊厳』という本を書いたヴィヴィアンヌ フォレステルの言葉を引用しています。「人間はもはや搾取の対象でさえなくなった。いまや人間は排除の対象になった」。
 市場経済が人間排除の経済へと倒錯したのは紛れも無い事実です。小泉純一郎竹中平蔵構造改革と称してそれを押し進めて行った結果、今や若者を主体に大量の失業者がちまたに溢れ、仮に派遣やアルバイト、パートにありつけたとしても、彼らの非常な搾取は極限にまで達しています。皆短期で使い捨てにされ、生きて行く事自体が困難になりつつあります。最近私の友人で30代の若さの男性が自殺しましたが、若者の自殺率は今度の東日本大震災と相俟って急増しているのではないかと思われます。
 こんな現状天におられる主・救い主イエス・キリストはどう見ておられるでしょうか。
 安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません」(マルコ2:27)。
 安息日は神を通してモーセにより規定された十戒の中にあり、「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない」(出エジプト20:8−10)という制度でした。これはユダヤ人に対して与えられたもので、今日この安息日はキリストの復活を記念し、日曜日となっています。私たちは月〜土まで額に汗を流して働き、日曜日を休日、つまり安息日としています。まさに神が設けられたもので、その日に私たちは救い主を覚えて礼拝します。勿論食事もします。しかしユダヤ人の中の頑迷な学者らは、安息日には文字通りいかなる労働もしてはならないと考え、空腹で倒れそうな人が居ても、制度の手前何も「調理」などの労働をしてはいけないといった逆立ちした論理を遵守していました。それでは安息日に飢えた人は死んでしまいます。人間より制度、人間より市場原理優先、死ぬのは自己責任といった倒錯した考え方こそ、救い主が排斥されたのです。ご自分の似姿として造った人間がそのように貶められ排除される事は、絶対にお許しにならなかったのです。
 それゆえ救い主は人間自身が排除されるこの社会を、再臨の時必ず滅ぼし、排除した人々を一人残らず罰されます。