ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

反原発ー40年ぶりの集会とデモ

 2011年9月19日、東京明治公園で行なわれた「さようなら原発1000万人アクション」集会とデモに行って来ました。今回5万人を目指してという事でしたが、主催者側の発表では6万人に達したそうです。大江健三郎氏や落合恵子氏らが呼びかけたもので、会場テントの前の壇付近は立錐の余地も無いほど。
 前方がよく見えなくて、「背が低かった』聖書のザアカイ(ルカ19:3)のように、背伸びしてやっと誰が今語っているのかだけ見えました。

 私としてはこうした集会とデモに参加するのは実に40年ぶりです。それがどのように変貌したのか見届けたいという気持ちもありました。でも警備の状況は相変わらず、空からはヘリココプーターも何機か、その音がうるさくて、ぼそぼそ話される大江氏、そして落合氏の声を掬う事はほとんど出来ませんでした。
 2時頃基調講演が終わり、三つのコースに分かれてデモ行進に移りましたが、そのシュプレヒコール(「原発」−「反対」、「いのち」−守ろう」)のやさしい事。会場入り口では久し振り姿を現した核マル派がビラを配っており、マイクでの怒声は昔を彷彿とさせました。
 私はといえば、ブリコラージュ(モノを寄せ集めて自分で作る事)で、首から下げられるダンボールの切れ端に、台風を予想して濡れないよう工夫しながら、簡単な文章を綴って持って行きました。
 明治公園から秩父宮ラグビー場、国道246号を通り、NHK放送センターを横に見ながら、採集の目的地代々木公園まで歩きました。青空に守られながらの行進は爽快でしたが、いちいち横断歩道で止められるので、およそ2時間ほどかかり、持病の足の静脈瘤が悪化しました。それを我慢して公園に到着し、流れ解散した後、広い公園の一角で参加した一人一人に自由に語ってもらう集会が持たれ、このほうがマイクもよく通り、福島から来た人の訴えや東京から子どもを乳母車に乗せ、やはり一人で来た主婦の方の話など、じっくり聞く事が出来ました。

今回は昔と異なり、非常に多くの女性たちが参加した事です。子どもに引き継がれるかも知れない放射能の恐怖を切々と訴えていました。昔は機動隊員がジュラルミンの盾を前に、気付かれないよう参加者の足を思い切り蹴るので、危なくて女性には控えてもらっていました。この最後の集会では交通整理をしたおまわりさんたちも優しかったと言った人がいました。やはり公務上口に出す事は出来ずとも、他人ごとではなかったのでしょう。
 「イエスは答えて言われた。『わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。』(ルカ19:40)。
 私は道行く人々の反応を見ていましたが、原宿界隈の若者たちは全く関心を示しませんでした。次は自分たちの番かも知れないのに。