ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

むのたけじと戦争絶滅への断固たる態度

 むのたけじ氏の『戦争絶滅へ、人間復活へ』を読みました。むの氏はジャーナリスト、30年ほど週間新聞「たいまつ」を出して来た事で有名です。戦前は報知新聞社、そして途中から朝日新聞社に勤め、戦場でのルポを続けて来ました。
 私もその名と新聞の事は知っていましたが、実はまだ「たいまつ」を読んだ事がなく、今回岩波新書の上記の本を初めて読んだ次第です。
 むの氏は戦前従軍特派員として中国など各地に行き、そこで戦争の悲惨さをつぶさに目撃した為、今日に至るまで「戦争絶対反対主義」を貫いてきたという「土性骨」のある人です。
 氏は戦争のことを一番よく知っているのは、実際に戦場で戦った人たちですと述べています。兵士たちは殺すか殺されるかのどちらかで恐怖感が募り、三日もすれば頭の中はもう完全に思考停止となり、反戦というまともな意識は絶対に生まれてこないのだそうです。狂った野獣と化した兵士たちのやる事と言えば、殺戮、セックス、略奪、放火等だけです。特にセックス(強姦と言ったほうが合っているかも)では、「従軍慰安婦」の実態が実に生々しく語られています。インタヴューーしたのは黒岩さんという女性ですが、良く突っ込んで質問したと思うくらいです。私もこんな描写は初めてというくらい、実にリアルです。さすがのむの氏も当時は記事に出来なかったとの事です。それと慰安所に引きずりこまれた妻を助ける為に防ごうとやってきた夫たちの残酷な殺害。こうした強姦や殺戮をどうして生き残って内地に帰った後、妻や子どもたちに語る事が出来るでしょうか。「絶対にできるわけがない」です。だから戦後そうした体験を持った兵士たちは皆沈黙してしまい、その悲惨さが語り継がれません。よく従軍慰安婦問題はなかったとか、暗い話だから教科書に載せるのはやめようという右派の歴史家たちがいます。えてして戦後生まれの人々ばかりで、実際に目撃しているむの氏に立ち向かう事は出来ないでしょう。
 しかしむの氏はそんなむごたらしい戦争をやめさせようとする「反戦平和運動」が、これまで実際に戦争を止めた事例は一つとしてなかったと言い切っています。遂行しようとする連中は全く聴く耳を持たない、だから「戦争をする必要をなくして、戦争をやれない仕組みをつくらなければだめです」と具体的に提言しています。そうした憲法を持つ国は世界に38はあるとの話です。特に参考になるのはコスタリカだそうで、戦争絶対反対・平和を維持しようという姿勢を貫こうとする人々は、是非視察に行くべきでしょう。単なる「思想主義」ではなく、現実なのですから。
 そうは言っても、最近社会主義国中国、崩壊したソ連のあとのロシア、北朝鮮など周辺諸国の動きも何やら「かまびすしい」です。むの氏に言わせれば、そうした国々も実態は「資本主義体制」と変わらず、資本主義なら人間の欲望は果てしなく続くので、戦争は避けられない事になります。
 ちょっと耳の痛いことですが、キリスト教イスラム教もユダヤ教も権力の側に立っているから、宗教は戦争抑止勢力にはならないというのが氏の持論でしょう。確かにキリスト教で言うなら、米国の右派はブッシュ政権の時、だいたい戦争遂行の側に立って来ました。
 でも私は国の政治との分離を主張する聖書の教えから、次の事だけは銘記し、実践し続ける覚悟です。
 「平和をつくり出す人たちは、さいわいである…」(マタイ5:9口語訳)。
 「剣を取る者はみな剣で滅びます」(マタイ26:52)。
 旧約に関してはいろいろ戦争の記述がありますが、それらは基本的に現在への適用であったり、将来の予示となります。しかし新約の救い主イエス・キリストは、いつも平和を作り出す方であり、武器を持つ事の禁止を勧めた方でした。上記マタイの箇所はイエスの弟子がその敵(世の権力)に対して仕掛けた剣の暴力を否定しています。米国キリスト教右派の間違いはここにあると思います。即ちクリスチャンであれば、決して武器をとって戦争に加わってはならないという事です。最近別のサイト(http://d.hatena.ne.jp/iirei/20110907#1315390057)から学ばせて頂いたガンジーとの関係ではどうなるでしょうか。