ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

百田尚樹著『永遠のO(ゼロ)』を自分なりに読んでみる

 尊敬するiireiさんのサイトでこの本の存在を知りました(http://d.hatena.ne.jp/iirei/20110922#1316686734)。最初はコメントだけでもと思っていましたが、読み進めて行くうち涙が止まらなくり、読了した昨晩は2時間くらい興奮して眠れませんでした。近頃珍しい事です。本当によく出来た作品です。それで私も書いてみたくなった次第です。iireiさんに感謝すると共に、この本戦争を知らない出来るだけ多くの方々に読んで欲しいです。
 その書評の詳しい事は上記サイトで、iireiさんが正確に記述しておられるので省略させて頂きます。なぜ私が泣いたのかと言いますと、ここに出て来る主人公の宮部久蔵という零戦パイロットの使命感が、救い主イエス・キリストのそれと見事に重なったからです。
 宮部を知る最初の証言者は、彼の事をどうみても「臆病者」「卑怯者」であって、零戦乗りにふさわしくなかったと一蹴しています。
 旧約の預言者イザヤも来るべきキリストの事を「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった」(イザヤ53:3)と表現しました。本の出だしでは宮部もそういう男だったのかと思ってしまいます。
 宮部は志願兵として海軍に入りましたが、その前に結婚し愛する夫人がいました。その為彼は契りを交わし、絶対生き残って帰ると言っていました。その為にはパイロットとしても超一級の腕が無いと駄目でした。最初の頃は無敵の零戦でしたから、彼も容易に敵機を撃ち落とす事が出来ました。しかし周囲の悪評にもかかわらず、彼は隠れて技術を磨く事に余念がありませんでした。一瞬の油断でも命を落とす事になります。でも彼は凄い技量の事をおくびにも出さず、同僚のパイロットたちに対して謙遜でした。それも大いに誤解を受けたわけですが。キリストもそのような方でした。
 「キリストの柔和と寛容」(コリント第二10:1)とあるように、キリストは権威者でありながら、接する全ての人々に対して柔和さと寛容を示されました。それは断じてキリストの弱さではありませんでした。そしてエルサレム入城までは、敵がいかに迫害しようと絶対に生き続けなければなりませんでした。
 しかし宮部の生への執念とは裏腹に日本の戦局は一気に悪化して行きます。零戦を越えた敵の優秀な戦闘機、また「VTヒューズ」と呼ばれる信管を備えた恐るべき防御兵器の開発、そして遂には出撃すれば二度と生きて生還出来ない「特攻作戦」の発動…宮部は次第に追い詰められて行ったでしょう。でも彼は特攻志願兵の募集に、最初断固として拒否の姿勢を示しました。必ず死ぬと決まった作戦を命は惜しいと言って、大胆にも上官に抵抗したのです。
 実はキリストも私たちと同じようにその苦悶を表明された事があります。ゲッセマネの園での祈りに於いてでした。父なる神へこう祈られました。
 「父よ。みこころならば、この杯(=十字架刑)をわたしから取りのけてください…」(ルカ22:42)。
 最後に登場したのが人を殺した事もある元ヤクザの景浦という男でした。私が特に激しく泣いたのは、この景浦の証言によってでした。彼は宮部を最初ひどく憎んでいました。撃墜王を目指す彼はその上手を行く宮部、妻子を慕い絶対生き延びようとする宮部を許せませんでした。模擬空戦の絶好の機会が与えられると、景浦は予告もなく機銃のレバーを引きます。しかし宮部はかわし、自爆しようとする景浦に向かって「無駄死にするな」と諭しました。
 キリストも絶望で死んで行こうとする者たちを叱咤し「私の命令を守って、生きよ」(箴言7:2)と命じられました。
 その時から景浦は何としても宮部より長生きし、宮部の死ぬのを見届けようと決意しました。再会は広島・長崎に原爆が落ち、もう少しで終戦という時でした。しかしその時の宮部は頬がこけ、無精ひげが生え、まるで人相が変わったようでした。遂に彼も特攻に志願したのです。同伴した景浦の戦闘機はしかし、故障して宮部の後を追う事が出来ませんでした。彼は生還し、終戦の日に宮部の為号泣しました。
 この景浦に十字架のキリストを挟んで同じようにつけられた強盗の一人がだぶります。彼も最初キリストを罵っていたでしょう。でも途中で彼は悔い改めるのです。
 「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください」(ルカ23:42)。
 この強盗は景浦と異なり、キリストと共に死にました。しかし彼はキリストと共に永遠のパラダイスにいます。
 宮部は出撃直前戦闘機を乗り慣れた旧式のものに換えてくれと大石少尉に懇願します。実は新式のものの不調を見抜き、不時着を願い、自分が確実に死ぬ為でした。勿論葛藤は大きかったでしょうが、妻子よりも大石の生還を願っての事でした。
 「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです」(ペテロ第一2:24)。
 そして終章。主語は敵艦の機銃員です。宮部の零戦に機銃弾を命中させます。その後です。宮部の機体は背面のまま直角に飛行甲板に落ちて行きます。機銃員は驚愕しますが、宮部機が積んでいた爆弾は不発でした。宮部は上半身がちぎれ即死でしたが、艦長は彼の見事な死に敬意を表し、水葬に付す事に決めました。
 キリストの死を見届けた百人隊長も神をほめたたえ、「ほんとうに、この人は正しい方であった」(ルカ23:47)と証言しました。そして十字架から降ろされたキリストの遺体は、水葬ではなく新しく掘った墓に埋葬されました。宮部とキリストの厳粛な死…。
 これを読み終えた時突然浮かんだのがバッハのマタイ受難曲の終楽章です。「ヴィル・セッツェン・ウンス・ミット・トレーネン(涙)・ニーデル…」(私たちは涙を流しながらひざまずき 墓の中のあなたに呼びかけます。お休みください安らかに、安らかにお休みください、と)。宮部とキリストがここでも完全に重なり、私はさらに涙を抑える事が出来なくなりました。このブログを書き終えてもです。
 でも宮部は死んだけれど、キリストは死んで埋葬され、三日目に甦りました。これが聖書の福音であり、その確信が信仰なのです。