ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

ルーベンスの絵画

 2012年11月15日の朝日新聞に、東京六本木で開催されている「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」展のうち、ルーベンスのものが10点あって、森洋子明大名誉教授が解説していました。
 スイスとオーストリアの間に「リヒテンシュタイン侯国」という立憲君主制国家があるのを、私は恥ずかしい事に知りませんでした。元首リヒテンシュタイン家の称号は「侯爵」だそうです。17世紀以後500年間にわたり、美術品を収集して来ました。その中にルーベンスの名作が含まれています。
 ピーテル・パウルルーベンスは、1577年ドイツのジーゲンに生まれましたが、父親はプロテスタントカルヴァン派に所属していた為、当時迫害を受け、いったんそこを逃れたものの、その後母の故郷のアントウェルペンに母と共に住み、カトリック教徒として成長しました。ですから彼の作品には宗教画が多く見られます(*ウイキぺディアから)。
 その後イタリアに渡って修行を積みましたが、その時に巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロラファエロの作品が、大いなる影響を与えたと言われています。さらに私の好きなカラヴァッジョの影響も受けています。
 ルーベンスの絵画で最も有名なのは、「キリスト昇架」という作品だそうです。

写真(1610―11年にかけて)
 これは救い主イエス・キリストがこれから十字架刑に処せられる前、手足に釘を打ち付けられ、屈強な男たちにその十字架を立てられる場面です。ここではその直前に被せられた「いばらの冠」による血だらけの頭の描写は、あまり生々しくありません。それより十字架の頂点に掲げられた罪状書きが目立ちます。そこには以下の聖書の言葉が当時の3つの言語で書かれていました。
 「ピラトは罪状書きも書いて、十字架の上に掲げた。それには『ユダヤ人の王ナザレ人イエス』と書いてあった。それで、大ぜいのユダヤ人がこの罪状書きを読んだ。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったからである。またそれはヘブル語、ラテン語、ギリシヤ語で書いてあった」(ヨハネ19:19−20)。
 そして朝日に載った宗教画としては、「キリスト哀悼」(1612年頃、今回の展示品に含まれています)があります。

 これはキリストが十字架で死んだ後、そこから降ろされ、付き従っていた弟子たち(男の弟子たちはほとんど逃げていたので、女性たちが多いです)が哀悼の意を表しています。
 朝日記者は「生者」と「死者」の肌の描き分けが、ルーベンスの非凡さを物語っていると書いています。なるほどキリストの身体からは血の気が失せ、青白く描写されています。死後ローマ兵に槍で刺された左脇と左腕が赤く染まっています。しかしキリストに寄り添い、頭からいばらの棘を抜き、その目を閉じている母マリヤ(聖書箇所はなく、想像による描写)の顔もまた蒼白です。実物を見ないと、母マリヤの目元も悲しみで真っ赤に染まっている、というのがよく分かりません。展示会に行かれる方は感動するでしょう。実に見事な描写となっています。
 居合わせた弟子たちはキリストが三日目に甦り、やがて天に戻られる事など想像出来なかった事でしょう。
 しかしキリストは甦られました。これが福音で、信じる人は「終わりの日」に朽ちない身体と共に完全に甦ります。
 この絵画展、入場料が1500円もするので私はあきらめました(苦笑)。