ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

カダフィ大佐の埋葬

 2011年10月26日のタイム誌電子版(英語サイト)に、「なぜカダフィの墓は秘密なのか」といった題の記事がありました。
 リビアの内戦で最後まで抵抗したカダフィは、拠点シルトが陥落した後、最後に隠れた場所から引き出され、カメラの映像では詳しい状況が分からないものの、遂に頭への銃撃が致命傷となって死にました。それが反乱軍によるものかどうか、確定しないままに。ただ反乱軍としてはカダフィの軍隊による残虐行為を知って復讐心に燃え、カダフィを殺せ、カダフィを死刑にせよというスローガンを掲げていたであろう事は、容易に想像出来ます。
 血潮滴るカダフィの遺体でしたが、一部報道されているように「命乞い」をしたとすれば、全く哀れな死に様でした。
 そして彼の遺体はタイム誌によると広大なサハラ砂漠の秘密の場所に、25日明け方埋葬されました。少数の反乱軍のメンバーが立会いました。

 画像はhttp://4travel.jp/overseas/area/africa/morocco/travelogue/10476806/からお借りしました。
 埋葬箇所に記念碑も霊廟も設置されないままですから、反乱軍の立会い者が情報を漏らさない限り、とこしえに見つからなくなるでしょう。それはオサマ・ビン・ラディンの場合と全く同じで、違いは後者が水葬されたという事位です。
 タイム誌の後半はカダフィの死因が不明である事を取り上げています。もし捕虜となりながら殺されたのであれば、国際規則違反という事ですから、まず国連が動き、暫定政府に調査を要求したようです。それは各国にも波及し、遂に暫定政府は死因調査をする事にしたそうです。上記のカメラ映像場面からすれば、私だってとても交戦中での戦死には見えません。ただ遺体を取り出してという事は、砂漠では不可能ではないかと思います。もう腐敗分解しているでしょうから。
まさか春日八郎の「死んだはずだよお富さん」という事はないでしょう。
 これを私の救い主イエス・キリストの死と対比させて見ますと、以下の通りです。
 1イエス・キリストは弟子たちを除けば、当時の律法学者・パリサイ人・祭司長ら支配階級と群衆から憎まれ、十字架につけろという大合唱になりました。その点ではカダフィへの憎悪を持った反乱軍と良く似ています。
 2イエス・キリストの十字架刑は公開で、既に衰弱し切ったキリストは間もなく亡くなられました。そしてローマ軍兵士による脇から心臓に達する槍傷はその死を決定的なものとしています。カダフィの場合は頭に撃ち込まれた銃弾が致命傷になったようですが、誰がという事だけ不明です。
 3イエスの遺体は「岩を掘って造った彼の新しい墓に納め、そして墓の入口に大きい石をころがしておいて、帰った」(マタイ27:60)とあるように、墓の位置も特定出来、しかも遺体が盗まれないよう入り口を大きな石で塞ぎ、ローマ軍の兵士たちが監視していました。カダフィの墓場は一般に特定する事が出来ません。
 4最大の違いはイエス・キリストが「三日目によみがえられたこと」(コリント第一15:4)です。故に墓内部は「もぬけの殻」でした。それをもって弟子達が密かに遺体を盗み出したという「珍説」も出ていますが。イエスの復活が福音=良き知らせです。しかしそれは信仰によってしか受け入れられません。カダフィはいつまでも死んだままです。ただイスラム教の教えではどうなるでしょうか。