ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

鎌田實・大平光代共著『くらべない生き方』を読んで

 図書館で上記の本を借りて読みました。二人の対談で第1話から第10話までほのぼのとする対話が繰り広げられています。競争社会で疲れ果てている人々には是非お勧めといったところです。150ページですから直ぐ読めます。
 各章毎に「珠玉の言葉」が多く見られますが、一番衝撃があったのは題の一部にもなっている第1話の「くらべない」でした。
 大平光代さんと言えば、代表作『だから、あなたも生きぬいて』で良く知られた人です。2000年に発行された時読んで、こんな凄い人がいるのかと思いました。その経歴をウイキペディアから借用してざっと見てみますと、中学時代にいじめを受けて自殺未遂を起こし,その後非行に走りました。中学を出た後間もなく暴力団の組長と結婚、そして離婚という数奇な青春時代を過ごしました。今の時代ならそこから這い上がり、幸せな生活を送るのはまず不可能です。
 そしてそれから後が全く予想外の展開となりました。父親の友人である大平浩三郎という人が彼女の養父を買って出て、彼女を励まし更生させました。
 そこで奮起一番彼女は猛勉強を始めます。まず身近な宅建試験に合格(これは大病し病みあがりの時私も半年の勉強で合格しました)、次のステップとして司法書士試験に合格(これは法学部の学生でも相当勉強しないと受からないでしょう)、さらに近畿大学法学部通信教育課程に入り、最難関の司法試験に向けて準備を始め、僅か1年の集中的な学びで合格してしまうのです。ネットを覗くと、大平光代という生き方より、専らその合格の秘訣みたいなものだけ知ろうとするちゃっかりした学生が多いようですが(第5話の「繰りかえす」にそのエッセンスが載っています)、天下の東大法学部出身の優秀な人々でも、なかなか一発で受からない難関ですから、いかに中卒だけの学歴の彼女が優れていたか分かろうというものです。
 そして研修を受け弁護士としての道を歩み始めたのは、けだし当然でしょう。かつて自分が非行だった事から、その仕事を通し非行少年の更生に努めました。
 上記代表作の半生自伝はだいたいそこまでで終わっていますから、あとは時折新聞の報道などから、大阪市の助役とか法律顧問となった事くらいしか耳にしていませんでした。
 それがどうでしょうか。この『くらべない生き方』の1話冒頭では、彼女は理解ある御主人と結婚して生まれたダウン症の子の育児に専念する為、弁護士としての活動も捨て田舎に引っ越したのです。子どもと家庭を何より最優先しました。これぞ大平流他人と「くらべない」生き方です!聖書を学んでいる者の観点からしても、全く敬服してしまいます。願わくば生まれつきの盲人について、主イエスが「神のわざがこの人に現われるため」(ヨハネ9:3)と言われたように、一家が世の基準と全く比べない信仰者にもなってくれたらと思います。
 一方鎌田先生は都立西高校出身(当時東大合格者数は日比谷高に次いで二番目、私は落ちて「落ちこぼれました」)、東京医科歯科大学入学後、おそらく卒業後は医局に留まるつもりでいたと思います。しかしです。1969年頃から活発になった東大・日大全共闘などの影響を受け、大学の全共闘に加入します。その後は他人と同じ出世の道を歩まず、東大全共闘で時計台に籠り逮捕された今井澄行動隊長と共に、信州の諏訪中央病院に入り、経営困難に陥っていた病院を二人で再建し、今井氏の後病院長に就任しました。そこでの長い経験から有名な『がんばらない』『あきらめない』など独特の本を出し、日野原先生と同じように現役で「がんばって」います。
 養父に育てられ、田舎の生活を選択したところに、鎌田氏と大平氏の共通点があります。二人のくらべない生き方見事です。
 ところで新約聖書には偉大な伝道者パウロが登場します。彼も律法に通じたエリートでした。
 「私は、自分と同族で同年輩の多くの者たちに比べ、はるかにユダヤ教に進んでおり、先祖からの伝承に人一倍熱心でした(ガラテヤ1:14)。
 しかし彼は復活の救い主イエス・キリストと出会い、その心は全く砕かれてしまいました。その後は彼も学者・パリサイ人らエリートと全然「くらべない」生き方を全うしたのです。私も世の生き方と比べず、仮初にも羨ましいなどという気持ちを抱かず邁進したいと願っています。