ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

見張り所(ウオッチタワー)の監視役不能と企業統治

 2011年11月10日の朝日新聞「耕論」欄では、「会社はだれのものか」という題で、3人の方々が発言しています。ニコラス・ベネシュ氏(公益社団法人『会社役員育成機構』代表理事)、田村達也氏(グローバル経営研究所社長)、元榮太一郎氏(弁護士)です。
 ベネシュ氏はここで「監視・監督し、意思決定を行う」べき取締役会が全く形式的なものに過ぎず、その為に企業統治が欠如し、東電・九電・オリンパスなど事件が次々と発生し、日本は勿論、外国からも信頼されていない事を指摘しています。
 田村氏は企業のトップが身内ばかりで監視が甘くなる為、暴走に歯止めがかからない事態を重く見て、特に身内以外の独立した「社外取締役」の義務付けと強化という事を主張しています。
 元榮氏は株主の監視機能が弱い為に、「経営陣は会社を好き勝手に運営し、コンプライアンス(法令順守)の意識が高まらない」事に警鐘を鳴らしています。
 これを要するに、社外からの「監視機能」が正しく働いていれば、企業はまともになるし、もしその逆なら企業は悪に向かって暴走するという事でしょう。
 実は旧約聖書でも同じような出来事があり、「最高監視者」としての神が、その代表である「預言者」を通して、ご自分の民の実態を余すところなく伝えておられます。一例としては次の箇所があります。
 イザヤ21:8「すると獅子が叫んだ。『主よ。私は昼間はずっと物見の塔の上に立ち、夜はいつも私の見張り所についています』」。
 ここで「物見の塔」(ヘブル語ミツペー)と「見張り所」(ヘブル語ミシュメーレット)という二つの言葉が出て来ます。物見の塔と言いますと、すぐ「エホバの証人」の事が浮かんで来ますが、彼らは異端でこの塔での機能を果たしておらず、危険な存在です。この二つの言葉に共通するのは「監視する」という動詞から来ている事です。また冒頭の「獅子」ですが、このヘブル語と預言者を表わすヘブル語は良く似ており、写本の相違ではないかとの説もありますが、仮に獅子としても、獲物を狙う鋭い目を持って絶えず見張っている者という意味で、やはり預言者や監視者を象徴的に表わしています。
 旧約聖書ではそうした物見の塔からイスラエルの不正を監視する者たちが存在しました。そして勿論預言者とは、神のみことばを預かり、それを人々に宣べ伝える者で、同じイスラエルの者でありながら、独立して民にその悪を指摘していました。神の代弁者として歯に衣着せぬ発言をしていました。
 そうした役目を彼らが果たしている時、イスラエルは健全でした。しかし士師記に見られるように、「士師」(さばきつかさという意味で、やはり監視者・統治者と同じニュアンスになります)が死んで、その役割を果たす人が居なくなると、イスラエルは途端に不正=罪の道に走りました。
 それが今日の監査役としての取締役会と企業統治に適用されるわけです。それが日本で正しく運用されない限り、企業は世界からも見限られるでしょう。