ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

元官僚古賀茂明氏の書いた『日本中枢の崩壊』を読んで感じた事

 経済産業省の元官僚古賀茂明氏が仕事を与えてもらえず、退職したのはごく最近の事です。「良識派」で自ら「絶滅危惧種」と呼ぶ氏は、省内で少数のモノ申す官僚として、政府や他の官僚たちの隠微ないじめや圧力に屈する事なく、国家公務員制度改革推進本部にあって歯に絹着せぬ持論を展開していました。
 それは雑誌「週間東洋経済」「エコノミスト」に載った為、お上の逆鱗に触れて遂に退職を余儀なくされたわけです。絶滅危惧種から文字通り「絶滅」してしまいました。天下りや企業からの誘いといった退路を断っての事ですから、後はネス湖の怪獣やシーラカンスなど「生きた化石」として、世の深い所から細々と論を発信するほか無いのでしょう(氏は数年前大腸がんを患っています)。他の絶滅危惧種たちは省内での発言封じに愛想を尽かし、早々と省外に出て起業したり、民間の研究所などで積極的に働いているようです。彼らはさながら「進化した種」と言えるのかも知れません。
 その官僚たちの生態について特別関心があるわけではありません。氏が内部にあって展開する官僚論についても、ヘエ〜そんなものかと思うくらいです。
 それよりも民主党政権になってから、政治家たちによる「政治主導」と、それに対応する役人たちの対応関係・力関係に興味をそそられました。
 東日本大震災が起きた時の対応は両者似たり寄ったりで、組織としての脆弱性が露わにされた感じで、多くの国民が不幸になりました。
 しかし古賀氏はそれ以前から政権の政策を積極的に批判して来ましたから、政権と官僚間の「力学」が良く分かります。氏が評価するのが、自民党の橋本竜太郎政権です。「政策に関する緻密な検討は役人が担当する。その結果を、最終的に閣僚がリスクを取って政治判断する。その際、絶対的に信頼できるスタッフを持っている。これが政治主導である」と主張する古賀氏は、それを実行したのは橋本氏で政治主導の見本だったと回顧しています。両者互角でありながら、首相がちゃんとリーダーシップをとっていました。
 ところがこれは役人が勝手にやった事だと、政治家が役人に責任を転嫁するようでは政治主導は成立しないのです。力関係は政治家より役人が上です。民主党政権はこれまで政治主導を確立出来なかったと、古賀氏は断言しています。鳩山政権は役人を制する発言をすぐ撤回しました。仙谷行政刷新担当相も、すぐに提案を引っ込めてしまいました。管政権に至ってはむしろ役人に助けを求めました。結局民主党は政治主導の意味が分かっておらず、「最初からどこにもなかった」と、氏は酷評します。さらに現野田政権はもう完全に役人の言いなりといった感じで、役人は政治家を完全に馬鹿にしているでしょう。
 ここまで書いて思いつくのが聖書の旧約士師記に出て来る女預言者デボラとイスラエルの士師(しし=さばきつかさ)バラクとの関係です。
 そもそも神は女預言者を認めておられません。国のリーダーは男であり、ご自分の言葉を預けるのも男です。しかしそうした女性が登場したのは、イスラエルがだらしなかったせいで、神はそれを「放置」されたのでしょう。このデボラが、士師且つ軍司令官としてバラクを任命しました。こうした形をとったにせよ、本来士師が国のリーダーシップを握るべきですが、このバラクは弱腰でした。
 「デボラは…バラクを呼び寄せ、彼に言った…わたしはヤビンの将軍シセラとその戦車と大軍とをキション川のあなたのところに引き寄せ、彼をあなたの手に渡す」。ここまではよかったのですが、次に出て来るのがいけません。「バラクは彼女に言った。『もしあなたが私といっしょに行ってくださるなら、行きましょう。しかし、もしあなたが私といっしょに行ってくださらないなら、行きません』」(士師7:6〜8)。
 ここです。ここにデボラ=役人、バラク=政治家の関係が見てとれます。バラクは男でありながら、「威張っている」女預言者デボラの前で腰が引けへなへなしています。一緒に戦ってくれないのなら、私は戦闘に行きませんというのです。バラクはデボラに頼りきってしまい、リーダーヒップを発揮するどころではありませんでした。デボラはあきれたでしょうが、結局戦いは勝利しました。
 古賀氏は政権内部と役人の事に精通していたから、「日本中枢の崩壊」を予言する事が出来ました。しかし民主党はこの貴重な官僚を投げ出し、保身を図ってしまいました。