ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

なだいなだ氏の死

 「アマツヤアモスに言った。『先見者よ。ユダの地へ逃げて行け。その地でパンを食べ、その地で預言せよ』」(アモス7:12)
*先見者は預言者と同じです。日本語でも「先見の明」という言葉があり、聖書の意味とは少し違いますが、「これから先がどうなるか、はっきりみとおすことのできる力」と辞書にあります。
 2013年6月6日作家・精神科医のなだいなだ氏がすい臓がんで亡くなりました。83歳でした。

 私はこの反骨の人が好きで、2003年にインターネットで仮想の政党「老人党」を結成した時は、「老人はばかにされている。政治へ怒りを率直にぶつけ、選挙を面白くしよう」という事が契機となっていた為、時々覗いていました。
http://6410.saloon.jp/にはその結党目的が書かれています。
 1.老人を含む、いま弱い立場にいる人の暮らしやすい社会をつくる
 2.世界の平和をめざし、日本を戦争をしない国とする
 3.平和と基本的人権を保障する日本国憲法を護る
 4.政治や司法が誠実・有効に機能しているか、積極的に意見を発信する
 5.老人と未来の老人が協力して現政権に市民の声を届け、より良い社会を目指す
 なだ氏の死を考えながら、1985年に筑摩書房から出た『人間、この非人間的なもの』を読んでみました。驚いたのは、今日問題となっている多くの事柄について、先見の明を持っておられた事でした。
 氏は1929年生まれ、1942年戦争が厳しくなりだした頃、麻布中学に入りましたが、その後陸軍幼年学校に転校しました。そしてそこで過酷な陸軍式教育を受けたと思われます。その体験は大きく、上記の本にも反映されています。
 この本の冒頭近くに「人間の悪を非人間的と呼んで、人間から切り離し、自分を人間的と呼んで、それとは無縁なものと見なしてはならない」とあります。これはまさしく聖書の教えでもあります。
 凶悪な事件が起こるたびに私たちは、「同じ人間なのにどうしてあんなむごい事が出来るのか、あんな残酷な、非人間的な事が」とつぶやきます。しかしなだ氏に言わせると、そんな凶悪犯と自分を引き離そうと構えた時から、私たちから想像力が失われる事になります。極限状態で自分だってそういう事を行い得るという事を考えなくなります。ナチスドイツのアウシュビッツ九州大学で起きた捕虜の生体解剖実験、日本軍の捕虜虐待、ベトナムにおけるソンミの虐殺…。卑近な例では私たちは動物の肉を食べていますが、その屠殺される動物の姿を想像出来たら、肉が食べられなくなるでしょう。
 「人間はどうして自己の想像力を失っていくのでしょう。その一つが、組織の中への埋没です」と氏はきっぱり言います。「組織に入った人間は、その組織に所属させることで、組織に感じさせ、組織に考えさせて、自分が個人的に考えることをやめようとつとめます」。これは今日の「原子力ムラ」という組織にぴったり当て嵌まるではありませんか。そこに所属する個人は、福島で起きている悲惨な現実への想像力を失い、思考力を停止させます。だから私もまず自分の内なる残虐性を凝視し、「また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか」(マタイ7:3)とある如く、自分の心の梁を取り除いてから、霞が関の想像力を欠いた役人たちの「ちり」「鱗」を落とすための叫びをしています。もし私が霞が関の官僚の一人であれば、目に鱗がかかっている限り、国会周辺デモの人々の訴えが見えなくなっているでしょう。ちらっと一瞥し、「それがどうした。おれの知った事か」ともなります。
  マスコミの場合、社会部記者は、あれはけしからん、これもけしからんと正義の旗を掲げています。それが危ういバッシングになる事もしばしばですが、最近は朝日を始め、権力への批判力が相当弱っています。
 なだ氏は権力がマスコミを利用しようとする場合、「批判的な姿勢をたもたてさせながら、それでいて無意識のうちに、自己に協力させること」で利用価値が出て来る事を指摘しています。「そのためには、マスコミの弱点をとらえ、それに積極的に働きかけるほうがいいのです」。ですから原発批判が強くて権力が困った時、アベノミクスという餌をなげ与えたらどうでしょう。マスコミは自己の弱点をさらけ出し、その餌にくらいつかざるを得なくなります。そしてその間に、原発のニュースを追えなくなってしまいます。なるほどと思いました。
 スポーツ界ではどうでしょう。そこにはフェアプレー精神の神話が存在します。つまり「スポーツマンには、悪いことをするやつはいない」という神話です。ですから高校野球選手でも、オリンピック候補者でも、そこに不祥事が起これば、バッシングが生じます。なぜなら競技が汚されない為、選手は汚されてはならないからです。それを汚す選手は「うむをいわさず除名され、それによって選手全体がきよめられるのです。この選手はケシカラン人物であったが、この選手をのぞいた残りは大丈夫である」。私はこの嘘が分かっているので、朝日やNHKが報じる、選手を美化したような中継や報道を見る事はありません。
 逆に柔道界では連盟理事の不祥事が明るみに出ていますが、それをマスコミが叩いています。嘉納治五郎の「礼に始まり、礼に終わる」柔道の精神ですが、柔道を始めることで、礼儀作法や規律正しく礼節を学ぶ事が出来るなどというのは、全くの嘘です。それを貫き通した人が連盟理事になっていたら、そんな不祥事は起こりません。
 最後に「首都圏反原発連合」との関連です。なだ氏はこの形の市民運動に留まっていてはならないと警告しています。「それを越えて、これから純粋に、どこまでも一個人として、個人の権利を守るために、市民としての公正の感覚を梃子にして戦うことを学」ぶべきだと主張します。「集団の利益のためではなく、市民の生活の中に公正の原則を確立するために戦うのです」。なだ氏の先見の明のある、面目躍如たる言葉ではありませんか!