ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

オウム真理教の林被告の号泣は本物か

 オウム真理教の一連の裁判が終結に近づいているそうで、朝日新聞の夕刊ではここのところ裁判に関与した人々の事を連日報じています(*下書きの時点)。
 11月16日は地下鉄サリン事件の実行者の一人でありながら、裁判前に全てを自白し、その全容解明に寄与した林被告に対して、無期懲役の判決を出した当時の裁判長が回顧しています。画像はhttp://satehate.exblog.jp/7739630からお借りしました。

 林被告は慶応大学の医学部を卒業し、臨床医になった人です。心臓血管外科を専攻し、とにかく病の人を救いたいという情熱は抱き続けていたようです。勿論外科手術だけで人は救えないという悩みも抱いて、いろいろ修行に励み、1987年に教団トップの麻原彰晃被告の本と出合い、2年後に正式に入団しました。そして1995年あの事件を起こしたわけです。

 逮捕された後、比較的スムーズにに起訴された林被告の裁判を受け持ったのが、現在弁護士をしている山室恵さんでした。朝日ではこの人に焦点をあてています。
 林被告は公判中に「私は医者で、本来、人を助ける職業でありながら、その人たちに比べて…」と述べた後、もはや言葉を継ぐ事が出来ず激しく泣き崩れました。その状況は一斉に報道されたので、私も良く覚えています。
 山室さんはこの被告の涙を見ました。さらに被害者遺族の一人が極刑を求めないという意向を示した為、他の2人の裁判官と議論を重ねながら、ふさわしい量刑は何だろうかと、悩みながら考えて来ました。結果的に無期懲役の判決を下し、1審でそれは確定しました。
 しかしです。判決後数ヶ月して職員と話し合う機会を持った時、林被告の一番近くで見守っていた或る職員が、「山室部長(裁判長)はだまされたんじゃないですか」と疑問をぶつけたそうです。たぶんその時山室さんは絶句したのではないでしょうか。そしてその時から林被告が「オウムと決別できているのだろうか。裁判では演じ切っただけなのか」という疑念も頭をもたげ、その職員の言葉がとげのように山室さんの心に突き刺さったそうです。それがこの記事の小見出しになっています。それがずっと抜けずにトラウマの如く痛みを感じる事があるそうです。
 山室さんは「このとげは一生抜けないだろう。でも、今もあの判決に後悔はない」と言っています。なぜなら真実は人間である裁判官には完全に見通す事が出来ないからです。それは神のみぞ知ると悟っているからであり、結局は自分の判断を信じるしかないのです。そして「もし、もう一度あの事件を担当することになっても、同じ判決を書くと思う…」と、感慨を述べています。
 これを読んで私もその通りだと思いました。確かに人間には他人の心を完全に見抜ける能力がありません。しかし神は全知全能であり、全てをご存知です。ですからたとえ自白が虚偽だったとしても、終わりの日に正しく裁かれるのです。
 「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます」(ヘブル4:12)。
 「隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現われないものはありません」(ルカ8:17)。