ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

震災の記憶を記録する―森まゆみの仕事

 「私たちの間ですでに確信されている出来事については、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人々が、私たちに伝えたそのとおりを、多くの人が記事にまとめて書き上げようと、すでに試みておりますので、私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。尊敬するテオピロ殿」(ルカ1:1−3)。
 森まゆみさんは1954年東京生まれ、作家・編集者として多くの著作があります。東日本大震災の時は東京の千駄木に居て、「生まれてこのかた経験した一番大きい地震」と記しているように、すさまじい揺れを経験しました。

 そしてこの悲惨な災害に対して、「津波で命を落とした人を忘れないように!原発事故を忘れないように!」と思い立ち、自らのホームページで2011年3月11日から2012年3月11日までの1年間、生じた出来事を綴って来ました。毎日ではないですが、そうだあの時こんな事が起ったのだという事を思い出せる形で記しています。勿論東北の地にも何度か足を運んでいます。2011年の年末では、「権力に対する人間の戦いは忘却にたいする記憶の戦いである」というミラン・クンデラの言葉を引用して閉じていました。
 このホームページの積み重ねが『震災記録 記憶を記録する』(岩波新書)に結実しました。被災地を見据えた珠玉の文章で満ちています。基本的なところを抜き書きします。

 例えば3/11は「ハウスも松林も波に飲み込まれていく…早く逃げろ。名取の仙台空港は海の中に孤立していた」といった内容です。
 4/23「福島県内の小中学校や幼稚園、保育園などで、被曝量が年間20ミリシーベルト(毎時3・8マイクロシーベルト)を越しそうな施設に対しては、屋外での活動などをひかえてほしい、という文科省の知らせ…」。年間1ミリシーベルト以下だったのに。
 5/10「避難所の現実」「●避難所の縮小や統廃合が起こると、そこでまた新住民・旧住民のトラブルも起こる」「人間社会にありがちなトラブルが当然、過密の避難所でも起きているらしい」。ですからいわき支援を手伝っている人の話として「偽善と自己満足のあいだをウロウロしているような気分」となってしまったそうです。線量による地域の分割は浪江町南相馬市双葉町など、現在も続いており、トラブル長引きます。
 5/14「東電清水社長、社員の退職金に手をつける気はない…それぞれの老後の設計もある」「東電のせいでしごとも家も失った人がこれだけいるというのに。その人たちの老後の設計はどうなるのか」。
 5/24「きのう、参議院小出裕章、後藤政志、石橋克彦、孫正義各氏が参考人として意見を陳述した…小出さんが最後に引いたガンジーの『七つの社会的罪』の引用が心に残った。『理念なき政治、労働なき富、良心なき快楽、人格なき学識、道徳なき商業、人間性なき科学、献身なき信仰』」。
 6/10「城南信用金庫の吉原毅理事長などは脱原発と言いはじめている」「原発は地域振興に馴染まない」「自前の言葉をもっている素晴らしい経営者だと思う」「城南信金は1億円を義捐金として被災地に贈り、理事長自ら石巻などへ経済支援におもむき、従業員らも炊き出しなどを続けた」。
 7/22「防災専門家」の話(森さんの友人)「…阪神のときは後藤田官房長官下河辺淳みたいな人がいてスピード感もあったし、官僚の使い方も心得ていた。民主党政権は政治主導と言って、官僚になにもやらせないのに、自分たちにはアイディアも肝力もない」。
 8/26「被災地の文化財救出のために」「…そもそも文化とはなにか、という話になる。美術史家・高階秀爾氏は『記憶の継承だ』と教えてくださったし、作家・司馬遼太郎さんは『それにくるまれていると心安らぐもの』であると書いておられる」。
 9/2「山下俊一氏の受賞」「『朝日新聞』が、福島県放射線健康リスク管理アドバイザー山下俊一氏に『朝日がん大賞』を贈るそうだ。山下氏は当初『100ミリシーベルトまでは妊婦・子どもも大丈夫』と言っていた。今は長崎医大を休職して福島医大副学長になっている。福島県民は彼の解任署名を5万以上集めているが、今度は受賞に抗議行動を始めた」。
 9/3「核汚染物質を県外移転?」「…核廃棄物は拡散させてはいけない。汚染されない国土も残しておかなければ」。
 9/11「福島の野菜」「きょうは日比谷公園からデモ。そして経済産業省を人の輪が包囲した。原発推進政策をやめろ、と」「自民党石原伸晃氏は原発に反対する国民を集団ヒステリーと批判」「生産者もしっかり測って、はっきり表示して、胸を張って出荷してほしい。セシウムの話を避けては通れない。消費者もなんとなくではなく、しっかり表示を見て、しっかり判断し、しっかり応援しよう」。
 9/26「ロンゲラップ」「詩人の石川逸子さんからいただいた『ロンゲラップの海』の美しい小冊子が出てきた」「ビキニから百八十キロ離れたロンゲラップに さらさら 雪のように降りつづけた 白い粉 死の粉ともしらず その粉を基礎って集め 無心にあそんでいた 子どもたち 体内にとりこんだ放射能によって ひとびとは やがて つぎつぎ 死んでいった 一九八五年 ついに ひとびとは ロンゲラップを脱出する先祖代々の暮らしを捨て 墓を捨て 思い出を捨てて」。
 12/19「学校と津波」「北上川河口の大川小学校について調べる。児童一〇八名中、七割の七四名、教師一二名中一〇名が死亡・行方不明。いろいろ疑問は残る…二度と起きないように検証したほうがいい」。
 12/28「事故調、中間報告」「『二〇〇八年に一〇メートル以上の津波のシミュレーションが出ていたが、吉田所長、武藤副社長はこんなの来ないといって何もしなかった。保安院も対策工事の要求もせず上司に報告もしなかった」。
 3/7「郡山の一四人の子どもが集団疎開をもとめて郡山市を提訴した。郡山の三月以降の放射性物質の積算量は七・八〜一七・二ミリシーベルト、これはチェルノブイリで子どもたちの疎開の基準とされた五ミリシーベルトをはるかに超える」。
 長くなりましたが、入力しながら忘れかけていた事を幾つも思い出しました。ブログ仲間で執拗に追及しておられる皆様、是非こんな記録を残して頂きたいと思います。