ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

芥川龍之介の『西方の人』『続西方の人』について

 2012年1月16日の朝日新聞に、「はじめての芥川龍之介」という題で記事が載っていました。
 この「天才作家」は、僅か36歳で自殺してしまいましたが、その短編集は優れたものばかりで、いまだ多くの人々に人気があるようです。太宰治と似ているところがあります。

 小さい頃父の書斎にあった立派な装丁のものを片っ端から読んだ記憶があります。『羅生門』『鼻』『芋粥』『奉教人の死』『蜘蛛の糸』『地獄変』…。
 みな優れていました。長生きしていれば、もっともっと読者を楽しませたであろうに。
 なぜ若くして自殺してしまったのか?これは勿論本人にしか真相は分かりません。しかし一般に朝日記者が書いているように、「ぼんやりした不安」というのがよく知られています。その根拠となった遺書には「少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である」とあります。さらに朝日記者が言及している夏目漱石との出会いの少し前から、「何故、苦しくとも、生きて行かなければならないか」という事を生涯考え続けていたようですが、からだの健康にも優れず、神経衰弱も患った為、そうした病魔に憑かれた事もあろうかと思います。http://inochi.jpn.org/jisatsu/chapter5.htmという自殺関連サイトが詳しく分析しています。
 一方で彼が聖書のイエス・キリスト(=『西方の人』)をこよなく愛した事も良く知られています。『西方の人』を書いたのが、自殺直前の7月10日、『続西方の人』が7月23日、そしてその翌朝に「聖書を読みつゝ最後の床へ」(東京朝日新聞)就き、薬を飲んで自殺しました。
 この聖書を読みながらという事から、芥川の「救い」という事を考えてみます。
 『続西方の人』の一番最後の部分で彼は「我々はエマオの旅人たちのように我々の心を燃え上らせるクリストを求めずにはいられないのであろう」と書いて、筆を置きました。この箇所は「ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に行く途中であった」(ルカ24:13)で始まる、ふたりの弟子と復活のキリストとの出会いが記されています。彼ら弟子たちは最初話しておられるのがキリストだとは気づきませんでした。道すがらキリストは二人の不信仰を叱責してから、共に宿屋に入り、食卓を共にされました。そしてキリストはパンを取って祝福し、二人に渡されたのですが、その時初めて二人の目が開かれ、復活のキリストだとはっきり確信したのです。そして二人の会話はこう続きます。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか」(同24:32)。
 芥川はこのルカ伝の最後部分から引用していますから、自殺直前この聖書箇所を読んでいたのは間違いありません。もし宿への途上でイエスがご自分の事を全て二人に宣べ伝え、二人がそれによって「心が燃え」て来て、最終的に復活のキリストの証人となったのであれば、芥川もこのルカ伝の箇所だけ読んで、救いを求めていたなら、彼は救われたでしょう。そして「ぼんやりした不安」など吹き飛んだはずです。
 でもそうはならなかった、なぜか?救いをもたらすのは、三位一体の神の第三位格である「聖霊」の働きです。聖霊が求める人の心に働きかけて、初めて人は
救いを賜物として受け入れるのです。「聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です。』と言うことはできません」(コリント第一12:3)。
 ですから芥川が聖霊をどう見ていたかが問題です。7月10日の『西方の人』の中に「聖霊」という項があります。そこにこう記されています。「聖霊は悪魔や天使ではない。勿論、神とも異なるものである」。これを書いた時点から約2週間後、彼の考え方が変わったと思えるような箇所はありません。
 従って彼は救いに関する限り、それをもたらされる神である聖霊を受け入れずに死んだ事になります。彼は救われていないでしょう(勿論救いは神のみわざですから、人間がそう断定するだけの能力はありません)。
 ネットを見る限り、彼は救われていたとかいう言説が飛び交っています。意外にカトリックを信じている作家などに多そうです。しかし彼らの中には、まだ善悪の判断も出来ない幼児の時に「洗礼」を受け、自分は信じたのだと思っている人々もいます。こと救いに関する限り、よほど注意が必要です。