ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

原発とその推進をする人々の論理=東大話法

 福島第一原発事故から1年経過して、今全て停まっている原発53基を再稼動させようとする動きは、政府を始め原発に深い関係を持つ企業や学者たちの間で活発になって来ていると思います。勿論再稼動に反対の学者や原発地元周辺の自治体及び庶民の声も大きくなっています。
 私は3月15日の朝日新聞に出ていた「原発は退場すべきか」という題のもとに、田中知東大教授(日本原子力学会長)と吉岡斉九大副学長(政府事故調査委員)が出した見解を読み、ずっと考えていました。下左図が田中教授。

 それから5月5日「東大で続く有名教授流出」という記事が出てさらに考えるようになり、今度図書館で借りた安富歩著『原発危機と東大話法 傍観者の論理・欺瞞の言語』を読んで、もやもやしていたものが次第に明確になって来ました。それを纏めてみたいと考えました。
 安富氏は東大出身ではないので、東大教授として比較的自由な発言が出来ます。
 まず朝日5月5日の記事を見ると、東大では今有名教授がどんどん辞めて他の大学ないしは研究機関などに移って行くそうですが、その理由は国からの補助が大幅に減った為、外部から研究費を多くとって来る人が優遇され、しかもすぐに成果を出せる研究のみに集中するようになってしまった、とある「流出教授」は言っています。長い時間をかけた自由な発想に基づく研究が出来る雰囲気が急速に失せてしまったそうです。
 そしてこの記事の中で安富教授が登場していますが、安富教授はとにかく少しでも取り分を増やす活動をしなければならず、それが嫌な人が大学を去って行くと言っています。そして上記の著書の中で、人文・自然科学の文部科学省科学研究費補助金総額527億円に対して、原子力関係経費では実に4557億円となっている事を指摘しています。原子力に全分野の9倍近いお金が投入されています。だからこの原子力関係分野にいる教授たちが、正常な感覚を維持するのはほとんど困難なのです。
 安富教授が探し出した原子力関係機関の数は26載っていますが、まだ調べれば他にも見つかると言っています。そしてその中の一つに社団法人日本原子力学会があり、その長が田中知教授です。ですから田中教授が「原子力は人類が扱える技術だと私は思っている」「原子力学会は…現場を知りぬいた専門家集団だ…」ゆえに「原子力はまだまだ必要な技術だ」という発言をしているのも、けだし当然でしょう。
 一方安富教授は優秀で裕福な東大教授らの特質として、或る研究者の纏めたものを記述しています。それは1「底知れない不誠実さ」2「抜群のバランス感覚」3「高速事務処理能力」です。このうち2のバランス感覚は誠実さを演出し、他人に「飴玉を舐めさせる」能力であり、3の高速事務処理能力は、上記した研究費を取って来る為の能力ですが、問題は1の底知れない不誠実でしょう。ひどい事故を起こしてしまったという良心の呵責が全くといってもよいほど欠如している事です。
 それらを考えながら、安富教授は東大(そこだけに限りません)話法規則というものを作成しました。1「自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する」、2「自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する」、3「都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする」、4「都合のよいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す」、5「どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す」、6「自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する」、7「その場で自分が立派な人だと思われることを言う」、8「自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する」、9「『誤解を恐れずに言えば』と言って、嘘をつく」、10「スケープゴートを侮辱することで、読者・聞き手を恫喝し、迎合的な態度を取らせる」、11「相手の知識が自分より低いと見たら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念を持ち出す、12「自分の議論を『公平』だと無根拠に断言する」、13「自分の立場に沿って、都合のよい話を集める」、14「羊頭狗肉」、15「わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する、16「わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する、17「ああでもない、こうでもない、と自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる」、18「ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分の言いたいところに突然落とす」、19「ぜんたいのバランスを常に考えて発言せよ」、20「『もし○○であるとしたら、お詫びします』と言って、謝罪したフリで切り抜ける」。
 これらが資金力豊かな東大科学系教授(特に原子力)に当て嵌まるとすれば(上記田中教授は記事の中で東大話法20番目に特に紙面を割き、謝罪したフリで切り抜けています)、それはまさにイエス・キリストが律法学者・パリサイ人らに向けられた批判と同じです。
 「忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいなように、あなたがたも、外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです」(マタイ23:27−28)。