ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

バリトン歌手ディートリッヒ・フィシャー=ディースカウの死

 2012年5月19日のニューヨーク・タイムズhttp://www.nytimes.com/2012/05/19/arts/music/dietrich-fischer-dieskau-german-baritone-dies-at-86.html?_r=1&pagewanted=all)は、世界的に有名なバリトン歌手ディートリッヒ・フィシャー=ディースカウが、ドイツのバイエルン州にて86歳で亡くなった事を伝えていました。

 彼は1925年生まれですから、幼い時ヒットラー・ユーゲントに所属していた事がありますが、後にその横柄さと残虐さにびっくりしたと回顧しています。兵士として徴集されましたが、1945年捕虜となり、解放された後の1947年から歌手としての活動を始めました。その時後述するブラームスの「ドイツ・レクイエム」を、代役としてリハーサル無しで歌ったという逸話が残っています(ウイキペディアより)。
 1949年に結婚し、死別経験を経て4度結婚しました。最後の妻ジュリア・ヴァラディが彼の死を確認しました。ニュースで知る限り、彼が信仰を持って死んだかどうははっきりしていません。
 彼は生涯にたくさんの歌曲を歌いましたが、特にピアニストのジェラルド・ムーアと組んだものに優れたものがあります。シューベルトの「冬の旅」(*菩提樹が入っている事で有名)などが代表的ですが、ブラームスの歌曲なども実にうまく表現していると思います。彼の晩年の作品「四つの厳粛な歌」は、聖書からのみことばが引用されています。これはまだ若い時(33歳)のもので、ピアノはイエルク・デムスですが、いまだこれを超えるものはないと言われています。
 ブラームスは名作「ドイツ・レクイエム」を、レクイエムとしては初めてカトリックラテン語訳ではなく、マルティン・ルターのドイツ語訳聖書で書いた事で有名です。しかもそれは死者の為のミサ曲ではなく、生き残っている者への慰めに満ちた曲となっています。それをディースカウは実に明晰なドイツ語で、独唱部を朗々と歌っています。上記したように彼が信仰を持っていたかどうか不明ですが、ブラームスプロテスタントの信徒でした。私はディースカウは晩年のどこかで信仰を得て召されたのではないかと期待しています。
 ただ残念な事に「ドイツ・レクイエム」と(第三曲の最後に外典の知恵の書)、「四つの厳粛な歌」(第三曲に外典シラクの書)は、共に一部聖書の正典以外のものが含まれています。

 それはとにかく「ドイツ・レクイエム」の第三曲の始めのほうの歌詞と、「四つの厳粛な歌」の第一曲を、聖書から挙げておきます。
 「主よ。お知らせください。私の終わり、私の齢が、どれだけなのか。私が、どんなに、はかないかを知ることができるように。ご覧ください。あなたは私の日を手幅ほどにされました。私の一生は、あなたの前では、ないのも同然です。まことに、人はみな、盛んなときでも、全くむなしいものです。セラ まことに、人は幻のように歩き回り、まことに、彼らはむなしく立ち騒ぎます。人は、積みたくわえるが、だれがそれを集めるのかを知りません。主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです」(詩39:4−7)。
 「人の子の結末と獣の結末とは同じ結末だ。これも死ねば、あれも死ぬ。両方とも同じ息を持っている。人は何も獣にまさっていない。すべてはむなしいからだ。みな同じ所に行く。すべてのものはちりから出て、すべてのものはちりに帰る。だれが知っているだろうか。人の子らの霊は上に上り、獣の霊は地の下に降りて行くのを。私は見た。人は、自分の仕事を楽しむよりほかに、何も良いことがないことを。それが人の受ける分であるからだ。だれが、これから後に起こることを人に見せてくれるだろう」(伝道者の書3:19−22)。
 
 ドイツ・レクイエムは別ですが、四つの厳粛な歌やピアノ独奏曲四つの小品などは63歳の死が間近に迫った頃の作品で、淋しい感じがします。聖書箇所を見れば、人は手幅ほどの短い人生で、それを終えると皆ちりに帰って行きます。それで終わりだったら本当に虚しいですが、この箇所はそうは言っていません。人と獣の決定的な違いですが、人は死んだらその霊は天におられる神のもとに一旦委ねられます。その時信仰を持って死んだ人は主なる神キリストに対する望みが実際のものとなります。一方獣は魂はあっても、神との交わりをする霊の部分がありません。従ってここで「獣の霊」と訳されているのはむしろ誤訳です。原語ルーアハは「霊」という訳語と共に、「息」という訳語もあり、厳密には「息をするだけのモノ」くらいに訳すべきです。従って息をするだけの獣は死んでちりに戻ります。
 上の二つのみことばから、ブラームスは信仰者の幸いを曲で示したと言えるでしょう。「コガネムシは金持ちだ〜」という童謡がありますが、それに似た四つの厳粛な歌の冒頭と、その四曲は、「死」を扱っているだけにまさに厳粛です。しかし私たちはその事実を忘れないようにしたいものです(「メメント・モリ!」=死を覚えよ)。