ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

脱原発を決めたドイツと、原発を捨てられなかった日本との相違は?

 「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします」(コリント第二7:10)。
 mm3493さんが紹介して下さった(http://d.hatena.ne.jp/mm3493/20160708#1467988055)『ドイツ人が見たフクシマ 脱原発を決めたドイツと原発を捨てられなかった日本』(熊谷徹著)を私も読んでみました。

 著者はドイツのミュンヘン在住のフリージャーナリストです。
脱原発後のエネルギー問題に詳しく、この本でも、相当なページ数を割いて語っています。画像はウイキより。
 私はこの本の副題の方に関心を寄せて、繰り返し読みました。
 既にご承知の通り、ドイツは日本の福島第一原発事故を見てから、脱原発を決めました。しかし日本はこの悲惨なレベル7の事故にも関わらず、再稼動を決めました。その違いを著者熊谷氏と共に考えてみました。
 まずドイツですが、「メルケル原子力擁護派から原子力批判派に転向した理由は、2つある。一つは、物理学者としての倫理的、人道的な判断。もう一つは、政治家としての冷徹な計算である。彼女は、『福島事故以降も保守政党原子力の使用に固執していたら、支持率が下がり、選挙に負ける』と判断したのだ」と言っています。
 私は前者は分かりますが、後者についてはこの本から相当学ばせてもらいました。
 まず第一、メルケルの転向について考えてみました。
 メルケルは3・11福島第一原発事故から僅か4日後、3ヶ月間の「原子力モラトリアム」を発令し、7基の原子炉を停止させ、その後原子力のプロからなる「原子炉安全委員会」と、素人から成る「倫理委員会」に提言を求めました。
 メルケルキリスト教民主同盟の議長であり、父親はプロテスタントの教職者だったので、その信仰を継承し、幼い頃から聖書には親しんでいたと思われます。
 今度の脱原発についても、彼女は「相談しなければどんな計画も挫折する。参議が多ければ実現する」(箴言15:22)という聖句が頭にあって、2つの委員会に助言を求めたと考えます。その際聖書ではソロモンの子レハブアム王が、この先の事について長老たち及び、自分に仕えていた若者たちに相談しています。しかし愚かにも彼は経験の少ない若者たちの意見を尊重し、それを採り入れています。
 レハブアムはそれで失敗しましたが、メルケルはその逆でした。素人集団の「倫理委員会」の意見を採択しました。それには彼女が物理学を専攻し博士号を得ており、原子力にも精通していた事が大きな影響を与えたでしょう。彼女は原子力のプロたちの意見にも耳を傾けましたが、原子炉安全委員会はドイツの原発福島第一原発より安全性が高いと結論付けた為不信を抱き、原子力が神の被造物に危害を及ぼすという宗教家・信徒を含む倫理委員会の意見を重視しました。プロの判断は誤りと結論付けたメルケルは、3ヶ月後の2011年6月9日、連邦議会でこれまでの原発推進政策を180度転換させ(=悔い改めて、<転向>とは赴きが異なる)、脱原発に舵を切ったのでした。
 「福島事故は、全世界にとって強烈な一撃でした。この事故は私個人にとっても、強い衝撃を与えました。大災害に襲われた福島第一原発で、人々が事態がさらに悪化するのを防ぐために、海水を注入して原子炉を冷却しようとしていると聞いて、私は『日本ほど技術水準が高い国も、原子力のリスクを安全に制御することはできない』ということを理解しました…私があえて強調したいことがあります。私は去年秋に発表した長期エネルギー戦略の中で、原発稼働年数を延長させました。しかし私は今日、この議場ではっきりと申し上げます。福島事故は原子力についての私の態度を変えたのです」。
 メルケルキリスト教民主同盟の長であり、個人としては信徒です。まず個人として福島の衝撃を心に受け止め、これまでの原発推進志向が誤りであったと悔い改めて(180度の転換)、脱原発を決意しました。これはキリストのみこころと合致し、熊谷氏が言う「敗北」ではありません。なるほど氏はドイツ滞在が長いので、「ドイツ人は、なかなか人前で自分の過ちを認めたがらない民族」と分析しています。でも信徒なら神と人との前で、公然と大胆に自己の過ち(または罪)を認めます。それが第一歩です。
 後は自己の信念に基づき、ぶれずに突き進むのみ。キリストが共に居てくれるので、ソロモンのような知恵が与えられ、素人集団の倫理委員会の意見を採択、キリスト教民主同盟という自らの党を挙げて大きく舵を切ったと見ます。一貫した原発全廃の緑の党が、世論の支持を集めて大躍進しているのも、実は神のみこころと、聞く耳を持っていました。これも熊谷氏のいう「政治家としての冷徹な計算」とはニュアンスが異なります。
 私はそうしたキリスト教の風土が、それの無い日本との決定的違いと考えます。
 3・11当時首相の管直人は、神無き人としてぶれまくり原子力ムラに敗北しました。野田首相も同じ。信念も知恵もなく、いとも簡単に原発推進に踏み切りましたし、その後の自民党政権も同じで、カネ目当ての原子力ムラの愚見のみ耳を傾けた愚かな安倍政権は、さらなる推進へ突き進んでいます。
 しかし真に正す事の出来る方は神のみ。ご自身の被造物を台無しにした人々には、鉄槌を下されるに違いありません。