国際赤十字世界災害報告書2012年度のものが公表される
2012年10月16日、国際赤十字委員会は上記報告書を公表しました(http://www.ifrc.org/en/publications-and-reports/world-disasters-report-2012/)。
第1〜7章までの膨大な報告で、なかなか読み通せませんが、その第5章(http://www.ifrcmedia.org/assets/pages/wdr2012/styled/chapter5/index.html)で、2011年3月11日の福島災害について触れています。
まず報告の始めに「強制移動は災害や紛争の最も深刻で可視的な結果である」と述べられています。ゆえにその報告は移動させられた群れの復帰やその保護、援助の必要といった見通しを明確に述べています。こうした強制移動、移住は、他にも政治的混乱、暴行、気候変化、途上国の事業などによっても行われ、年々容赦なく増加しています。それによって人々は家庭や暮らしが破壊され、社会的なネットワークは崩壊しています。移住先では女性、子供、精神的病のある人々等は、特に健康上の大きな課題が生じています。
そして各章で詳細が述べられた後、第5章に移って行きます。
大きな開発計画で、1990年半ばから毎年1500万人ほどの人々が強制移住させられている事がそこで言及されていますが、移住先での人権は侵害されています。
その報告の途中に福島のコラムがあります。複数の人々の証言がまず載っています。或る母とその娘です。原発地に近い所に住んでいました。母は「戻りたいけれど、それが出来ないのでがっかりです」と言い、娘は「避難の時当局の教えで、放射能の高い地域に行かされてしまいました」。
彼女たちの発言には怒りや苦痛、不安など複雑な感情が入り混じっていました。そうした立ち入り禁止区域の中に住んでいた為、強制移住を余儀なくされた人々は、実に77,000人を越えます。国際赤十字ではこの数字は、数十万人が避難したインドのボパール毒性化学物質漏れ事故以来だと言っています。
そしてこの強制移住者たちは、今後どうするべきか選択が迫られていますが、政府の定率の補償金を受けて生活すべきか、別の所で別な形の配分システムを要求してゆかざるを得ません。その場合でも、国の他の地域の人々の差別に直面する事になります。
健康に関する心配、特にがん発生に対する事柄は深刻です。しかも医者の情報さえまちまちです。 日本赤十字社長崎原爆病院長朝長万左男氏の見解が出ています。「長期的にどんな影響があるのかを明らかにするのは難しい」。
チェルノブイリ事故でベラルーシでの調査が長かった菅谷(すげのや)昭医師(松本市長)は、子どもたちの免疫機能の低下(チェルノブイリ・エイズ)を心配しています(http://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/genpatsu/sugenoya/)。
菅谷医師のウエブサイトは必見です。そこでは26年経過しても、30キロ圏で人が住めないとか、5年経過して一気に甲状腺がんが増えたとか、福島の計画的避難区域はチェルノブイリの居住禁止区域に当たるとか、重要な情報が満載です。
日本赤十字は全身スキャナーを導入して、内部被ばくを調査し始めました。でも帰宅問題となると、富岡町や川内村の一部など、とても線量が多く困難です。
東日本大震災では、他に地震・津波・核の複合災害で、30万人以上の人々が避難したままです。
それらを国際赤十字は、「科学技術の事故によって(住民が)移住させられた、人道危機だ」(朝日新聞の翻訳)と位置付けました。
聖書でも戦争に負け、強制移住させられた事例があります。いわゆるバビロン捕囚です。
「あなたの妻たちや、子どもたちはみな、カルデヤ人のところに引き出され、あなたも彼らの手からのがれることができずに、バビロンの王の手に捕らえられ、この町(*エルサレム)も火で焼かれる」(エレミヤ38:23)。
しかしバビロン捕囚は70年で終わりました。主だったユダヤの民は帰還しました。しかし福島では原発の処理次第では、70年をゆうに超えるでしょう。もしかしたら永続的に無理かも知れません。