ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

傾聴する事の大切さ

 図書館で最近出た岩波新書の『英語で話すヒント』(小松達也著)を借りて読みました。小松氏は1934年生まれの同時通訳第一人者です。
 私はこの歳で英検1級に挑戦しようとしていますが、忙しくお金もないので、ネイティブの方と話す機会がなく、「話す」「聴く」の訓練が足りず、現在は絶望的な状況です。これまで図書館で「英語上達術」の類の本を借りてけっこう読んで来ましたが、自分の状況に合うヒントを得ても身についているという実感はありません。
 今回の小松氏の著作を読み終えて、一つ得た大切な事柄があります。「耳に入る全ての単語を聞き分けることはネイティブ・スピーカーでも無理なのです。まして外国語話者の私たちには聞き落としがあって当然です」という事です。
 毎日スクリプト(=英語で読まれたものをそのまま活字にしたもの)付きのニュース(例えばオーストラリアのABCニュース、正確とは言えないけれどもVOA放送、PBS放送のニュース、1分間のサイエンティフィック・アメリカンのニュースなど)や対話(例えばPBS放送で出て来るニュースについて掘り下げた対話、E&ETVの対話など)を聴いて、スクリプトをワードに貼り付け、MP3で音声を吹き込み、両者を外付けハードに格納しています。そして時間のある時に音声を繰り返し聴いて、スクリプトと付き合わせるわけですが、間違った部分や聴き取れなかった部分が多く出て来ます。これでがっかりしてしまうのですが、小松氏はそれが問題で、「聞き取れた単語を中心に前後関係から何を言わんとしているのかを類推する、という態度が大切です」と強く強調しています。なるほどと思いました。想像力を働かせ、場面からイメージを膨らますわけです。
 勿論その前提として、聞き流す「ヒアリング」ではなく、耳を傾け注意力を集中させる「リスニング」の心構えでいる事が必要です。
 こうして言葉に捉われず、話し手の伝えようとする事の大意を掴み、理解するのが通訳で最も重要という事になります。その為には普段から相当知識を得ておかないと太刀打ち出来ません。
 そうした事を考えながら、聖書でイエス・キリストが語られた事を弟子たちがどう聴いて理解したのかについて、心を馳せました。
 キリストは地上でのご生涯の間、何語を話されたのでしょうか?勿論新約聖書ギリシャ語で書かれていますから、ギリシャ語だと答える事も出来ます。しかし一般には「アラム語」(=シリア語)と言われています。それを弟子たちがギリシャ語に訳して書いたという事でしょう。(ヘブライ語の可能性も否定は出来ません)。一つ箇所を挙げます。有名な十字架上でのみことばです。

 「そして、三時に、イエスは大声で、『エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。』と叫ばれた。それは訳すと『わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。』という意味である」(マルコ15:34)。
 この中の「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」がアラム語で、マルコはそれを翻訳するとギリシャ語ではこうなるという事を言っています。
 キリストは十字架上で「激しい苦しみ」のうちに、この言葉を発せられました。そこからしばし距離を置いて目撃した弟子たちは、相当耳を傾けて聞かなかったら聞き漏らしたかも知れません。しかしキリストは福音伝道の時、弟子たちらに何度もこの言葉を言われました。
 「聞く耳のある者は聞きなさい」(マルコ4:9など)。
 弟子たちは上記小松氏が言われたように、キリストの言われる事をよく注意して聴く訓練を受けていたでしょう。そしてマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという4人の弟子たちは、それぞれの個性と能力のうちに、キリストを理解したのでしょう(四福音書の若干の違いはそこから来ています)。