ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

 佐藤春夫の純情詩集より

 「あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない」(創世3:19)。
 「そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう」(ヨブ1:21)

 最近ブログ仲間のiireiさんが「佐藤春夫VS萩原朔太郎」という題でブログ記事を書かれました(http://d.hatena.ne.jp/iirei/20121130#1354269786)。
 格調高い文語体で詩を書いた佐藤春夫に、同じく詩人の萩原朔太郎がいちゃもんをつけた事を紹介、ご自分の意見を添えた興味深い文章でした。コメントを見ても、両者同列に扱う人と、両者に「太陽」と「星屑」くらいの差を付けられるiireiさんのディベートを見て、私も再度佐藤春夫の『純情詩集』を読んでみました。昔信仰がなかった時に比べ、信仰を持った後初めてなので、また違った趣がありました。佐藤・萩原両氏とも若い頃キリスト教と接する機会はあったものの、熟読して私は作品に佐藤春夫のほうが「一日の長」ありと思い、軍配を上げました。

 久しぶりの「秋刀魚の歌」「海の若者」など教科書に載っていた詩も読み返し、いろいろ思いを馳せました。
 その中に「断片」という題で次の詩の断片がありました。極めて印象深かったので記してみた次第です。
 われら土より出でたれば土にかへる
 われら裸にて生まれたれば裸にて生く。
 げにもよ﹣
 われらひとりにて産まれたればひとりにて生く。
 ひとりにて生きて、さてひとりにて死に行く……

 人間が土(粘土)から造られたという事は、別に上記創世記の箇所を引用しなくても、土に含まれている無機物と人間の構成元素を比較してみれば、推察出来ます。地殻で最も多い元素は酸素(46.6パーセント)と、ケイ素(27.7パーセント)であり、この二つを結合させた無機物は、ケイ酸塩と呼ばれ、最も豊富な無機物となります。8つの主要な元素が98パーセント以上の地殻の構成物となります。そこには私たちの身体に必要な無機物の大半が含まれています。人間の身体と地殻では、酸素が最も多い元素です。人間の身体はほぼ13の元素から成っており、酸素、炭素、水素、窒素で身体の質量の96パーセントを占めます。他の4パーセントはナトリウム、カリウムマグネシウム、カルシウム、鉄、リン、硫黄、塩素、ヨウ素です(*さらに微量のフッ素、銅、亜鉛、アルミニウム、マンガンヨウ素、セレン、モリブデン、クロム、コバルトが加わります)。人間の身体の元素としてケイ素だけは地殻より劣勢で1パーセント以下です。でもそれは骨の生育で必須であり、皮膚や結合組織に見つかります(http://www.answersingenesis.org/articles/aid/v7/n1/from-dust-to-dust)。
 そして私たちが死ねば、朽ちて分解し、元の構成要素に戻ります。
 私たちは一人一人裸で母親の胎から生まれて来ます。ですから基本的に裸で生きて行く事になります。衣服は必要に応じて身体を覆います。
 その後ですが、佐藤春夫は「げにもよ﹣」と言っています。「げにも」とは「なるほどその通り」という意味です。「よ」は終助詞ですね。その後の長く引いた線は一体何を意味するのでしょうか?感嘆して言葉にならなかったのか、それとも何か言いたかったのか?
 また私たちはひとりで産まれて来ます(*双子の赤ちゃんもいますが)。
 でも次です。「ひとりにて生く」という事ですが、現実の問題として、果たして人間は生まれた後ずっとひとりで生きてゆけるでしょうか?そうだと思っている人でも、必ず人との何らかの関わりがあります。糧も衣服も何でも一人で賄えません。人との会話が全く無くても、人は生きてゆけるのでしょうか?否、やはり人間は社会的存在と言うべきでしょう。
 しかしです。人は死ぬ時はまた生まれた時と同様、「ひとりにて死に行く」のです。突然社会的存在から切り離されて。誰も一緒にあの世には行ってくれません。佐藤春夫は「さて」という言葉を挟んでいますが、それは「それから」と単純にとってよいのでしょうか?さらに最後の……。ここにはいろいろな意味が込められていると思います。
 佐藤春夫は若い時に聖書をよく読んでいたと思います。おそらく信仰も得ていたのではないかと思います。しかし戦争中に試練があり、一時離れたと言われています。でもまた神に復帰しました。ただ1964年に召されるまで公にする機会は少なかったでしょう。
 私は最後まで信仰を持っていたと推察します。であるなら、最後の……は、「でも違う。人は確かにひとりで死ぬが、その瞬間天に召されて永遠に神と共に、また信仰を持っていた信徒たちと共に、永遠に生きる」という事を言いたかったのではないでしょうか?勝手な推察かも知れません。皆様のご意見を聞かせて下さい。