ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

文学者中野孝次氏の死に様

「 私は言った。私は生涯の半ばで、よみの門に入る。私は、私の残りの年を失ってしまった」(イザヤ38:10)

 図書館に行くと、入り口手前にリサイクル本棚がある。読んで不要になった本をこの棚に置くと、読みたい人が勝手に持って行って読む。それで良い本に巡り合う事が多々ある。

 少し古いが2006年7月発行の雑誌文芸春秋が置いてあった。その中に作家でドイツ文学者でもあった中野孝次氏の最期の日記が公開されていたのを見つけた。

 2004年食道ガンで亡くなった中野氏の、資料整理中に発見されたという。

 中野氏との出会いは、1985年発行の『わが体験的教育論』だった。ベストセラー『清貧の思想』はその後になる。

 中野氏は千葉県市川市須和田の出身である。私が若い頃発掘で参加した事のある場所だ。大工の息子だったので、跡継ぎを迫られていた。それで旧制中学にも行けず、悶々としていたが、独学で専検に合格し、旧制五高から東大まで行った努力の人である。それと同じ大工の子イエス・キリストの生涯と、重ね合わせつつ読んだのが、『わが体験的教育論』である。この岩波新書、今でも十分読む価値のある本だ。

 私がこの遺稿から思った事を述べたい。中野氏は79歳で食道ガンを宣告され、極めて短期で亡くなった。

 日記ではガンと分かってからの、赤裸々な自己を綴っている。気持ちとして非常に良く分かる。教会でもガンとの闘病生活を送った人、今も送っている人の様子を見聞きしている。

 皆等しく抗ガン剤治療を選択している。しかし抗ガン剤治療は命を縮めるだけで、延命効果はないから放置したほうが良い、との近藤誠氏の勧めは、当たっているようだ。健気に努力しつつも、次第に弱くなり、最期はその時を悟って、信仰者なら平穏に天に召され、或いは召されようとしている。

 真正のガンなら、初期もへったくれもない。既にあちこち転移していて、絶対に治らない。だから終活を終えた私は、ガンになっても抗ガン剤治療は拒否し、痛みだけ取ってくれるよう、文書にしたためてある。不慮の事故などで、もはや自分の意思表明が出来ない状態だったら、救急車も呼ばないよう記してある。「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある」(伝道3:1-2)からだ。

 しかし神が決められるその時でも、冒頭聖句のヒゼキヤ王は、神に祈って15年の延命効果を得た。聖書では希少の例である。だから私も祈れる状態なら、祈りはする。でも「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている…」(へブル9:27)とあるから、平素からその備えはしておくべきだ。キリスト教は死から始まって生を想う教義だからである。

 中野氏はそうではなかった。ギリシャ哲学のセネカをこよなく愛した。日記にもしばしば登場する。

 けれども衰弱が著しく、泰然とはしていられなくなった。それで入院を決心、医師から抗ガン剤治療の方針を聞く。医師から「ガンと共生でなく、ガンをなくす方針で行う」と言われた。中野氏はそれで「前途に死しか見えざると、一条とはいえ生の光の見えたるとでは、今を生きる気分一変す。きのうより何となく希望生じたり」と記す。

 私も共感はするが、信徒としては、あくまで希望はこの世ではなく、イエス・キリストから賜る永遠のいのちにある。

 若い日に大学でどうしても文学をやりたいという志を抱いて猛勉強し、その夢を叶えた中野氏だったが、抗ガン剤での延命の希望は、遂に叶わなかった。

 私もあと6年経つと、中野氏と同じ年齢になる。心は日々更新されるが、身体がいう事を聞かなくなった。どういう顛末になるかわからないが、検査で病状を把握しておくのは、悪くないと思う。