ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

チェルノブイリから27年、私たちは何を学んだのか

 「いつも学んではいるが、いつになっても真理を知ることのできない者たち」(テモテ第二3:7)。

 2013年4月26日のグリーンピース・インターナショナルサイトでは、上記の題で記事が寄せられていました。
 この4月26日でチェルノブイリ事故からちょうど27年が経過したそうです。この日とそれ以後の事故の様子を、京大の今中哲二氏が書いています(http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/Henc.html)。そして画像もそのサイトからお借りしました。

 この27年前発生した大事故は、ウクライナベラルーシ、ロシアからヨーロッパまで広範に放射能で汚染させました。

 それは今日に至るまで広範な地域に留まっています。ですから私たちはこの事故で亡くなった方、生き延びても希望を殺いでしまう恐怖の放射能汚染後遺症に悩んでいる方々の事を銘記するべきです。
 そしてこの事故は世界で最後のものとするべきでした。多くの人々が「ノーモア、チェルノブイリ!」と叫ぶべきでした。しかし金・権力・人々の保護よりも奇妙な益を優先させる人々が、凝りもせず原子力産業を継続させようとしています。
 そして4半世紀後の2011年3月11日、私たちは地震津波そして福島における原発事故を目撃する事になってしまいました。チェルノブイリからの警告は留意されませんでした。福島の原子炉がいかに脆いか、ほとんど注意が払われませんでした。そしてその犠牲の代価を支払わされたのは、東電ら原子力産業ではなく私たち庶民でした。
 チェルノブイリと福島の類似性は明確でした。数十万人の人々が家を追われ、未来の見えない生活を余儀なくされています。溶融した炉心は、今後数十年も危険で、人々が近づく事も出来ません。家・学校・土壌・食べ物・水が汚染されてしまいました。環境に放出された放射能のために、その長期的な影響は不確実なものとなっています。何世代にもわたる恐怖や不安は、徐々に浸透して行きます。
 ですから今日私たちの新たな叫びは、「ノーモア・チェルノブイリ、ノーモア・福島!」でなければなりません。
 そして今私たちは原発のミスに対する代価の支払いを拒否する時ではありませんか!
 ゼネラルエレクトリック、日立、東芝など、欠陥原子炉を据えた企業は、その費用を分担するべき時です!でもそれらの企業は全くそうしていません。そんな企業にもっともっと災害費用への責務を持たせれば、また事故を起こすミスを幾らかでも減らす事が出来ます。
 今は全原子力産業にその道義的・財政的責任を直面させる時です!今は利益ではなく、人々の事を考える時です!
 私たちはこのチェルノブイリから27年の厳しい現実と、福島原発を重ねてよくよく考えて見るべきです。