ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

としまの会主催 トークイベント 小出裕章さん、アーサー・ビナードさんと語ろう 「東京の秋 核の冬」に出席して

「幸いなことよ。知恵を見いだす人、英知をいただく人は」箴3:13)
 2015年10月31日池袋の東京芸術劇場で行われた上記のイベントに出席して来ました。定員100名以下という5階のシンフォニースペースでの小集会でした。夜7時から9時20分まで、二人の対話、会場からの質問と答えがあって、充実したものとなりました。
 「豊島放射能から子どもを守る会」は、3・11以降東京にも降った放射能の測定などを行い、子どもの健康と未来を守るべく積極的に活動をしています(http://toshima-kodomo.jimdo.com/)。
 本日のゲストは元京都大学原子炉実験所助教小出裕章氏、詩人・俳人・翻訳家・九条の会会員アーサー・ビナード氏でした。お二人が出会うのは、ここが初めてとの事でした。

 小出氏は著作等を通して、またマスコミなどを通して、3・11で何が起き、今どうなっているか、語り続けている放射能研究の第一人者です。私も繰り返しその著作を読んでいます。写真の右。
 ところがもう一人のゲストであるアーサー・ビナード氏については、うかつにも全く予備知識がありませんでした。当日のノートからざっとその経歴を見てみると、米国ミシガン州生まれ、大学の卒業論文で日本語に関与、興味を示し来日した人で、日本語は堪能です。最初都心の池袋に住みましたが、東京の食糧自給率はゼロ、絵本を書く為拠点として広島移住を考えていましたが、3・11を機会に「フクシマ問題をとらえるには、ヒロシマのレンズを通さないと見えないものがある」という事で、そちらに移住し、東京との往復の生活を送っています。写真の左。
 ビナード氏はとてもユーモアがあり、楽観主義者でもあって、悲観主義者の小出氏とは対照的でした。核問題には非常に詳しく、相当勉強されたのだなと思いました。自己紹介後すぐに、絶対東京で五輪をやらせてはならない、やればこの町(福島)を元に戻す事は出来ない、中止して真摯に福島と向き合うべきだときっぱり。
 その後小出氏も自己紹介で、原子力発電を絶対やりたいと、ごみごみした東京を離れ東北大学に行った事、ちょうど女川に原発を建てるという計画が上がり、住民からなぜそんなに重要なら仙台に作らないのか?と尋ねられたのが、原発見直しのきっかけだったと回顧しました。それで建設反対の集会に出席してから、もう完全に原発への幻想を捨てました。大学を出て京都大学に行った頃、愛媛の伊方原発建設計画が持ち上がり、その差し止めの裁判に出席、長い戦いとなりました。当時の漁民ら一緒に戦った人々はもうほとんど死んでしまい、今伊方の住民は疲れ果てている、しかし彼らと連帯して戦いを続けたいと述べました。
 ビナード氏は、疲れ果てるともう何をやってもしょうがないという否定的な気分になるけれど、それこそ今の日本を覆っている現実だと言います。そして伊方原発を再稼動させようという時、安倍首相は中央アジア原発を売り込みに出かけた、これは一体どういう事なのか考えてみた。すると売り込む為には、伊方は動いていなければならない、電力が足りているとか、危険だとかは知ったこっちゃない、ほらほら日本の原発いいでしょ、これは展示即売会であると(爆笑)経済界に目を向けると、今建設業を始めとして景気が悪い、少し明るいニュースとしては、関西での中国人による「爆買い」位である、これはもう日本列島ではない、日本アウトレットぅであると(爆笑)日本は中国富裕層のアウトレットぅに成り果てたと。日本を捨てている空気があるけれど、もっと明るいニュースとしては、日本国憲法があるという事である、しかし残された時間は短い、これが無くなればもう危ない、言論の自由は消え、小出氏も集っている人々も、もはやシャバに出られなくなる、下手すると小林多喜二のようになる、でも憲法がある限りは戦える、戦う足場はあると強調しました。
 小出氏はそれに応えて、憲法は決して押し付けられたものではなく、日本人がたたき台にしたものが元になっている。しかし9条は軍隊を否定しているのに、今や国連常任理事国5国に次ぐ軍事大国になっている、この矛盾をどうするか、まず憲法そのものを実体化しなければならないと力説しました。
 ビナード氏はもはや戦後80年はないだろう、しかし原発事故が起き、皆が考え立ち上がっている、それが希望であると。
 小出氏は本日これほどの人々が集まっているのは感謝であるけれど、たぶんほとんどの人が3・11が契機になってと思う、私はそれ以前から原発事故を起こさないよう努力してきただけに、全く無念。町に出ればハロウイーンの騒ぎ、そして五輪が近づいている、不安でしょうがないと。3・11の時、日本は緊急事態宣言をした、それが5年になろうという今も全く変わらない、そんな中で五輪の事を言う事自体おかしいと強調、その時流に抵抗すべく自分は喜んで非国民になろう、しかし一体そういう人がどれ位出て来るかと言えば、残念ながら抵抗しないで流されてしまう人がほとんどだろうと、悲観的です。
 でもビナード氏はあれから5年近く経ち、一人ひとりが成長し、深く考えるようになっていると述べました。小出氏は応えて、女川の頃大学闘争が始まり、最初は何をやっているのかと思ったけれど、闘争の中で自分がやっている学問は社会的にどういう意味を持つのだろうかと思うようになり、原子力の学びを自分に適用してみると、全く間違っていた、私は騙されていたと気づき180度転換したと述べました。そして女川闘争の時、かなり大きな配管を通すことになり、パワーシャベルが掘った穴に、たびたび飛び込んで阻止しようとしたそうです。たまたま小出氏不在のとき学生が数人捕まり、裁判で争う事になり、全員有罪になりましたが、裁判長は自分たちの主張を理解し、裁判費用を免除したというエピソードも披露しました。
 一方伊方の裁判では小出氏と同じ立場の学者と、東大を主体とする圧倒的多数の御用学者の間で、純粋な科学論争があったそうですが、小出氏はそれに圧勝したと強調しています。でも国を相手取った裁判の審議途中で裁判長が更迭されたので、それ以後小出氏は日本の裁判所は国家権力を支えるものに過ぎないと理解し、以後一切裁判に関わらなくなったそうです。大飯・高浜原発訴訟の勝利には理解を示していますが。
 休憩後2つほど質問がありました。大事な質問でしたが省略。
 汚染食品に関して小出氏は、チェルノブイリで広範に土壌が汚染され、出来たものも汚染されている、それを日本は輸入規制したけれど、自分はそれに反対した、なぜならソ連と違い日本はそんな事故は起こさない、どんどん原発を増やそうという国だったので、そんな事が言えるのかと。だから輸入した上で、その汚染食品をどうするのかという事を考えなければならない、それには日本人の大人は「すべからく」汚染食品を食べる責任があると主張します。原発事故で関東地方の広大な地域も汚れている、事実として汚れており、風評でも何でもないと声高に強調します。福島の米は事故前0.1ベクレル/キログラムも汚れていなかったのに、今は25ベクレルでも出荷、政府は100ベクレルでも可としている。福島の農民は捨てられたけれど、そこで米を作るしかない、そうして生活をしなければならない、それをどうするか考える責任がある。今福島では学校給食に福島県産米を使おうとしている、それは決定的に間違っている、子どもだけは絶対守らなければならない、ならば大人が引き受けるしかない、放射能を食べろと積極的に言っているとお叱りを受けているけれど、そんな事は一度も言った事はないと、珍しく声を荒げていました。

 ビナード氏はそれを受けて、「すべからく」という言葉はすごい日本語で(小出氏はあくまで子どもを除いて大人は皆と口を挟まれました)、日本人が原発を無くす為の運動もしないで、ただ「安全な食品を」というのは虫が良すぎる、そんな権利を僕らは失っているという事ですね、と小出氏に念を押しています。また汚染食品を大人が食べても大丈夫というのもおかしい、4年半経過して大人は疲れているけれど、セシウムは疲れない、30年が半減期という事もよく知っておくべきだと強調します。だから「食の安全」などと言うのは思い上がりだとも。
 小出氏もこれまで放射能は徐々に減っては来たけれど、もう減らないと応じています。汚れた堆肥を使う有機農法は、やはり汚れているし、化学肥料を使うというのも問題があるけれど、ゼオライトや化学肥料であるカリ肥料を使えば、セシウムなら劇的に減らす事が出来るという事も指摘しました。締めくくりに大きな拍手がありました。
 素敵なお二人に会えて至福の時を持ちました。でももう福島を忘れている東京人に対しては、「東京だって危ないさ」と警告しておきたいと思います。