国家百年の計を主張する内田樹氏と、目先の利益を将来まで敷衍して嘘をつく細田博之氏
「まことに、【主】はこう仰せられる。『バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる』」(エレミヤ29:10)。
「これは、エレミヤにより告げられた【主】のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。この荒れ果てた時代を通じて、この地は七十年が満ちるまで安息を得た」(歴代第二36:21)。
*バビロン捕囚で荒れ果てたユダとエルサレム(神殿を含む)ですが、かえってそれは70年の安息の時期で、それの満ちた時、ユダとエルサレムは急速な復興へと向かいました。
2013年7月23日の朝日新聞に、参院選が終わった後の意見を内田樹氏が寄稿していました。題は「百年の計より目先の得 非効率という知恵疎んじ 一枚岩の政党選んだ」というものでした。
内田氏は「国民国家はおよそ孫子までの3代、『寿命百年』の生物を基準としておのれのふるまいの適否を判断する。『国家百年の計』とはそのことである」と述べています。つまり国家は目先の事で動くのではなく、百年という長い期間を見据えて政治を行ってゆかなければならないという事です。だから「『ねじれ』は二院制の本質であり、ものごとが簡単に決まらないことこそが二院制の『手柄』なのである」と内田氏は言います。政策決定過程は決してスピードの加速であってはならず、今だけに通用する効率化の追及であってもならない筈です。ドイツの社会学者ハルトムート・ロザ氏もこの加速化を非常に懸念していました。
しかるに今度の選挙では自民党を大勝させた民も、このスピードと効率、費用・効果を求めていました。それゆえ原発も年金もTPPも破局があるとすれば、それは孫子の世代なので、今それを考えない、「未来の豊かさより、今の金」という、刹那的・短絡的思考に陥ってしまいました。この大合唱が絶対的権力をもった君主制国家=ホッブスのレビヤタン志向であり、行き着く先は全体主義国家という事になります。誕生してから68年ほどの平和憲法主体の国家ではなく、戦前のナチス・ドイツ、ファシスト・イタリアなどの国家体制に回帰しようとする事です。
ですから7月22日BSフジの番組で自民党の細田博之幹事長代行が「世界の潮流は原発推進だ。東電福島第一原発事故の不幸があるから全部やめてしまうという議論は、耐え難い苦痛を将来の日本国民に与える」「憲法は不磨の大典ではない。法令の一つだ。日本国憲法というと立派そうだが、日本国基本法という程度のものだ」(朝日7月23日記事)と述べても、もはやマスメディアは耳を閉ざし、批判の目を向ける事をしません。この典型的な東大話法(=欺瞞的で傍観者的話法)を繰る元通産官僚は、原発事故こそ将来の日本国民にも耐え難い苦痛を与えるであろう事を無視し、70年近く定着している平和憲法を否定し、不磨の大典ではないと言い切っています。この切れ者の発言を見ると、国家百年前の出来事を省察せず、百年先の豊かさなど全く眼中にない事が良く分かります。速く!もっと速く経済復興を!と目先にぶら下がる金に目が眩んでいます。百年先の光景を出来るだけ想像し、あらんかぎりの知恵を尽くして孫子の益を真摯に考えようとしている私たちは、こういう人が国会議員として選ばれている事を大いに恥とします。