ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

黒人少年を射殺したヒスパニック系米国人の無罪判決

 「以上が、その国々にいる、ノアの子孫の諸氏族の家系である。大洪水の後にこれらから、諸国の民が地上に分かれ出たのであった」(創世10:32)
 2013年7月15日のワシントンポストサイトでは、論説委員会による「ジマーマンは釈放されたが、悲劇は続く」といった題の記事がありました。
 この事件は2012年2月26日午後7時、フロリダ州サンフォードの住宅街で17歳の黒人少年、トレイボン・マーティンが、父親の知人宅に歩いて向かう途中、この街に住む地域住民監視組織のボランティアであったジョージ・ジマーマンにより射殺されたというものです。写真下左。

 この事件ジョージ・ジマーマンの顔がニュースサイトに何度も出て来て、次第にドイツや英国のサイトにも登場する大きな反響を呼ぶ事件となりましたが、今度のフロリダ州の裁判で無罪判決が出た為に、今もアフリカ系アメリカ人たちによる抗議行動が続いています。
 ジマーマンは父親が白人、母親がヒスパニックの混血児で、事実上白人と見做されています。私はずっとサイトでその顔を見ていましたが、純粋の白人だと思っていました。何となく不敵な面魂であまり好印象の持てない人物でした。
 彼はマーティンが頭巾を被って暗がりから出て来た為、最初車で追跡していましたが、途中下車し誰何したところ、武装もしていない丸腰のマーティンが突然襲って来たので、取っ組み合いになりマーティンをを射殺したという事だそうです。写真右がマーティン。

 ところが彼は2005年当時のジョージ・ブッシュ大統領の時に成立した「自分の立場を守る法=自分の命が危険にさらされていると感じた場合に、武器をもって防衛する権利を認める法律」を縦に、正当防衛を主張した為、1か月以上も逮捕されませんでした。それは黒人蔑視という批判を受けてやっと第2級殺人罪で逮捕されました。しかし米国では誰でも逮捕時又裁判に向かう途中、必ず後手錠で連行されますが、ジマーマンの場合全然手錠もかけられずに法廷に向かう写真ばかりでした。
 裁判の陪審員は6名の女性で構成され、5人は白人、1人がヒスパニック系女性でした。そして審議の結果は無罪放免という判決でした(*最初3名が無罪、3名が2級殺人及び故殺の罪で有罪と分かれましたが、最終的に全員一致で無罪)。時は7月13日。これには米国の正義が失われたと、大きなデモが今も続いています。
 銃規制法の問題と、抜きがたい黒人差別の問題が重なり、単なるフロリダの1殺人事件から発展し、ドイツでも英国でも注目されるようになりました。
 それに対して7月20日のワシントンポストサイトでは、同じアフリカ系アメリカ人で、初の大統領となったオバマが異例の演説を18分間行い、「マーティンは35年前の私だったかもしれない」と言いました。判決から1週間、オバマは妻ミッシェルや子どもたちとこの問題を話し合った後、記者会見でアフリカ系アメリカ人に対し、「冷静にじっくり考える」よう要請しました。また過去に受けた事のある様々な差別にも触れました。http://thegrio.com/2013/07/19/obama-trayvon-martin-could-have-been-me-35-years-ago/
 米国では1963年以来、黒人の子どもや少年が59,265人も銃で殺され、それ以前の80年の歴史での全黒人の射殺事件と比較し、実に17倍以上に膨れ上がっているとの事です。改めて米国の病んでいる実情を考えさせられました。同時にジマーマンが今まだ米国では少数派であり、この裁判の陪審人が多数の白人で占められているという複雑な事情も考えさせられました。