ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

花森安治

「金を貸しても利息を取らず、罪を犯さない人にそむいて、わいろを取らない。このように行う人は、決してゆるがされない」(詩15:5)
 東京新聞のサイトでは、9月23日に筆洗の欄で雑誌「暮しの手帖」の名物編集長だった花森安治さんの事に触れていました。

 花森さんは1911年生まれ、東京帝大を出て「太平洋戦争に応召するが、疾病により除隊し、その後は敗戦まで大政翼賛会の外郭団体に籍を置き、国策広告に携わる」(ウイキペディア)という経験を持っています。
 1942年に大政翼賛会と複数の新聞社が「国民決意の標語」を募集した時、入選したのが「ほしがりませんかつまでは」で、国策広告に携わっていた花森さんが採択したものです。この標語戦後幼い頃、母から聞いていました。
 戦後おそらくそうした自分を顧みた上で(*翼賛体制に賛同した人々が、戦後次々と手のひらを返したような転向ぶりを見せたのを、苦々しく思っていたのではないでしょうか。花森さんは正直に自分を認めた上で、自己弁護など一切しなかったようです)、1948年「暮らしの手帳」の前身となる雑誌を発行、後に「暮らしの手帳」として、戦後日本の中に定着して行きました。

 私の父がこの雑誌を愛好し購入していたので、私もそれをずっと読んでいましたが、特に印象に残っているのが、商品テストの欄でした。電気製品など当時出たての注目された商品を、長い時間をかけてテストするのです。容赦ない欠陥批評で、メーカーはそれこそ震え上がったに違いありません。しかし当時は企業は聞く耳を持っていたので、商品は改良を重ね、優秀な商品を世に出す原動力となるほどインパクトを与えた欄でした。私の家でもどの商品を買うかという時、いつも参照していたように記憶しています。勿論花森さんはメーカーからの「賄賂」は一切受け付けませんでした。
 1978年花森さんが亡くなって、今も発行されている暮らしの手帳はあまり刺激的ではないようです。
 前置きが長くなりましたが、上記東京新聞サイトには(花森さんが)「『民主主義の<民>は 庶民の民だ/ぼくらの暮しを なによりも第一にする ということだ』と書き残している」とありました。そして暮らしと企業の利益がぶつかったら。答えは明快だ。「企業を倒す ということだ/ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつかったら/政府を倒す ということだ/それが ほんとうの<民主主義>だ」(『灯をともす言葉』)とも記しています。筆洗の記者はかなり大胆に大切な箇所を取り上げています。また記者は庶民から集めた税金が企業の経営支援に回る本末転倒が起きてしまう事を憂い、再度花森さんの言葉を引用しています。「<なんだい/取り上げたゼニの この使いぶり/いったい ぼくらのゼニを/なんとおもっているのだ>」。
 この花森さん髪の毛が特異であり、スカートを穿くという奇行もありましたが、気骨ある人でした。67歳の若さでの死が惜しまれます。