ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

バクダットで私たちは再度サイゴンの陥落を見る事が出来る

 「ゼデキヤの治世の第九年、第十の月の十日に、バビロンの王ネブカデネザルは、その全軍勢を率いてエルサレムを攻めに来て、これに対して陣を敷き、周囲に塁を築いた」(列王第二25:1)。
 2014年6月30日、ワシントンポストサイトでは、上記の題でピーター・アーネットという人が記事を寄せていました。
 氏は1966年にベトナム戦争の報道で、1991年湾岸戦争の報道でエミー賞を獲得している戦場記者です。
 氏は1975年4月、北ベトナム軍と南べトナム民族解放戦線の連合軍による南ベトナム首都サイゴン(現在ホー・チミン市)の陥落を目撃しており、今はイスラムスンニ派過激組織「イラク・レバントのイスラム国」(=ISIS)が、首都バクダットを目指して戦闘を続けているのを取材しています。記事は両者の類似性を考え、比較しながら考察したものを記しています。以下はその要約です。

 1975年4月30日、南ベトナムは首都の陥落で崩壊しました。その時氏はサイゴンのホテルに居たので、屋根によじ登り、爆弾やロケット弾が空港で炸裂するのを目撃しました。逃走中の人々は飛行機格納庫のある所へ殺到し、この突然の攻撃をショック状態で眺めていました。古い軍輸送機が二機上空へ飛び出そうと、必死御努力をしていましたが、地対空ミサイルなどで撃墜され、粉々になって民家の屋根の上に落ちました。24時間以内に連合軍が政権を把握しました。
 一方2014年7月、スンニ派の反乱は既にイラク北部の多くを捕捉し、バクダットを目指して進軍中です。ここでもサイゴンで起きたのと同じような事が生じるでしょう。モスルとチクリートの喪失はその事を暗示しています。

 ベトナム大統領グエン・バン・チューは、米国に空爆の要請をしましたが、フォード大統領が拒否しました。イラクのムルシ・アル・マリキ首相も、米軍に空爆を要請しましたが、オバマはフォードと同じく拒否するでしょう。オバマは最近300人の軍事顧問団をバクダットに派遣しましたが、それ以上の事はないと思います。事実空爆はしていません。
 ベトナムでそうであったように、イラクでも新たなアメリカの軍事的関与は、ただ米国人のいのちを救う為にのみ使用されるでしょう。
 今後はベトナムが統一されたのとは対照的に、イラクシーア派スンニ派クルド族が互いに独立する事を望んでおり、もはやヨーロッパの外交官が100年前に考案した古い境界内部での共存を望んでいません。それに対してアメリカが団結を望んでも、もうその力はないでしょう。
 *そうした事を鑑みると、アメリカの後追いをする日本の自衛隊(将来の正規軍)は、形勢不利になっても決してアメリカに助けてもらえない筈です。日米合同軍隊といっても、日本兵のいのちは米兵のいのちよりずっと軽いのです。