ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

伊勢崎健治著『紛争屋の外交論」を読んで

 「私たちふたりの上に手を置く仲裁者が私たちの間にはいない」(ヨブ9:33)
 私がこの本の著者伊勢崎健治氏の名を知ったのは、東京新聞2014年2月15日の記事からです。

 東京外大の教授をしている伊勢崎氏は、およそ象牙の塔に引きこもるタイプの学者ではありません。
 1999年外務省の要請でインドネシア東チモールに行き、国連平和維持活動の一貫として、そこの県知事に就任し、紛争解決の仲立ちをし、2年後には同じ国連からシエラレオネ派遣団に加わり、内戦終結・平和の為に尽力しました。次いでそれから1年後にはアフガンへも行き、武装解除や社会への復帰の為の活動も行いました。自称「紛争屋」として希有な人です。
 私がこの本から特に学んだのは2つの事柄です。
 第一に北朝鮮による日本人拉致問題です。これは伊勢崎氏にとって重大問題です。非常に特異な人権侵害です。これまでの伊勢崎氏は仲介者としての職能を果たす事がまがりなりにも出来たのですが、この問題に関しては問題の当事者であって、仲介者になる事は出来ません。そうした第三者的な国はないという事です。だからこの問題は、拉致被害者救出問題と、国交正常化を含めた二国間の交渉による解決しかありません。それを教えてくれたのが、拉致被害者の一人蓮池薫さんの兄蓮池透さんだったと氏は言います。拉致被害者の家族としてかつては客観的な立場をとりにくかったのですが、透さんは現在立派な考え方をしています。即ちこの拉致問題から北朝鮮打倒という、偏狭なナショナリズムに走るのが、最も問題解決を困難にさせているという事です。仮に日本が米国と組んで軍事攻撃をしかけたとしたら、金政権は自国民のみならず、拉致被害者も「人間の盾」として、冷血に利用する事が考えられます。
 ですから外交的な解決が必須ですが、それも感情的な制裁外交は「事態の解決に益することがない」と氏はきっぱり言っています。なぜなら安易な和解の為の「対話」は、過去の経験からしても、相手を利するだけだからです。それより戦前の植民地支配による多大な損害を、相手が納得ゆくまで謝罪する、そこから問題解決の糸口が掴めると、氏は主張します。これには異論もあるでしょうが、私は聖書的な見地からも、納得出来る伊勢崎氏の主張だと思います。
 第二に巻末にある社会学宮台真司氏との対談に出て来る「ソフトボーダー]=柔らかな国境論です。尖閣諸島竹島北方領土の問題を、両方の国で管理する、共同統治する事です。実効線はきちんと引くけれども、軍はおかず、警察力で解決してゆくのです。天然資源は共同で開発・管理する事です。その為にもソフトボーダーは平和である事が必須です。
 伊勢崎氏は日本の権力者たちが、この事を全く分かっていないと嘆いています。ソフトボーダーは国益にかない、真の外交は相手のメンツをうまくたてながら、自国の利益につなげてゆく事です。「憲法九条の精神を具体的な外交政策に落とし込めば、それはソフトボーダーになる」、非常に説得力ある主張だと思いますが。それを民主党時代の前原や岡田がぶち毀し、今の安倍政権ではかなり悲観的です。
 今はコミュニケーションの実績を積んで行く事が大切だそうです。
 この本は3年前の出版です。それから激動の中に入った日本ですが、伊勢崎氏はどう思っているのでしょうか?
 冒頭の東京新聞では、伊勢崎氏は「非武装の、火力によらない集団的自衛です。それは先進国の共通課題である対テロ戦争において、決定的な対処法になり得る。しかも世界の中で、日本がいちばんできる可能性がある解釈改憲で武力による集団的自営権を認めれば、九条の意味はなくなり、日本の潜在能力をむざむざと消してしまう。それはアホなこと」と言ってはばかりません。