ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

原発事故から10年過ぎたが。

「しかし、【主】は今日に至るまで、あなたがたに悟る心と見る目と聞く耳を与えられなかった」(申命29:4)。

はじめの人間が神に背いて罪を犯してから、神は御自分の民イスラエルに「悟る心と見る目と聞く耳」を与えず、民はと言えばますますそのうなじをこわくしていった。

それは今日も全く同様である。罪人は全く見る目を持たず、聞く耳を持たず、物事を悟る事をしない。

原発事故が起きてから10年経過した。2012年には国会を包囲する形で、激しいデモが行われた。今思い出しているのだが、その隊列をすり抜けて帰途に就く官僚たちは、皆一様に無機質な顔つきだった。

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今はもっと悪いのではないか。権力者たちの意向を忖度し、原発で追われた弱い人々を思いやる事もなくなった。上記画像は請戸漁港から見た21年4月8日の福島第一原発排気塔群。

ずっと原発関連の記事や本を読んで来たが、この10年間を振り返り、過去から現在に至るまでその総括を的確に出来る人も、そう多くなくなった。

それが出来る稀有な人と言えば、大学で原子力工学を学び、途中で悔い改め、一貫して反原発の立場を貫いて来た小出裕章氏の名が挙げられるだろう。

小出氏は最近『原発事故は終わっていない』という本を出した。僕は早速図書館で借りて読んだ。全ページにわたりその実直さが良く表れている。

実は僕はこの本を読んであまり目新しい事を発見しなかった。

退官後信州でこの出来事を見続けている氏の主張は、従来と全く変わらなかったからである。冷静に平易な言葉で、専門家の立場から現況を解き明かし、忘れ去ろうとしている人々に鋭い警告を発している。その主張は10年前とほぼ同じである。目に見えない有害な物質は、例えばセシウム137の場合、80分の1に減るまで190年かかると言う。誰も行く末を見届ける人はいない。その間繰り返し事故でも起きない限り、福島第一原発の悲惨さを伝える人は居なくなる。

身も心もボロボロにしてゆくこの執拗な事故の影響力は、政治家にも官僚にも、原子力を推進しようとしている人々にも、もはや及ぼさなくなった。

潮流を変えたのは政府関係者である。いつまでも漏れ続ける汚染水に対して業を煮やし、先手を打って海に流そうと決断した。他の方法もあるのに棚上げし、猪突猛進で実行しようとしている。190年どころか11年も忍耐する事が出来ずに。

漁業関係者に失望と怒りを引き起こしているが、彼らの中には「風評被害」だけを心配している人がいる。しかし小出氏はそれは全て「実害」であり、国と東電がその加害者であるとズバリ指摘している。

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僕はこの実害が及ぶ浜通りでは、工事中でその全貌を見る事が出来ずにいた、浪江町の請戸漁港を初めて見て来た。下の写真にあるように、多くの漁船が係留していた。

乗組員はほとんど見かけなかった。漁協にも人影が無かった。全世界を敵に回すこの歴史的愚挙を、固唾を呑んで見守っているのか。沈黙の抗議か。

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一方で目に見えないけれども永遠には続かない放射能を、早く終息させるべく摂理によって立ち上がる永遠の神がおられる。私たち信徒はその方に信頼を置き、明るい未来を見据える。「私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです」(コリント第二4:18)。