ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

体調不良は二度目の帯状疱疹のせいだったかも

 「こうして、彼らは彼とともに七日七夜、地にすわっていたが、だれも一言も彼に話しかけなかった。彼の痛みがあまりにもひどいのを見たからである」(ヨブ2:13)。
 多くのブログ仲間の皆様に心配をおかけしています。
 なぜ体調不良だったのか、やっと分かって来たような気がします。おそらく二度目の帯状疱疹とその後遺症の神経痛だったのでしょう。
 最初左の上腕にかゆみ・痛みを伴う斑点が出来たのを、蚊か何かの毒虫に刺されたからと間違って判断したようです。
 ですから以前皮膚科でもらった副腎皮質ホルモン剤の軟膏を、その箇所に塗りたくっていました。
 それが瞬く間に水泡となり、上腕部の半分に集中的に広がりました。何か変だと思いつつも、軟膏を塗り続けたのが、決定的な誤りだったようです。
 1992年頃関西での引越しでうつ病となり、間もなく胸を左に半周する重い帯状疱疹となりました。これは激痛で病院にも行く事が出来ませんでした。それで手遅れになり、帯状疱疹神経症として残りました。
 今でも時々痛みますが、その間にこの病気が二度なる事はないと、医学書で読んでそう信じていたのです。
 十数年後の医学の進展で、ネット検索すると、二度なる事もあると出ました。たぶんそれだったのでしょう。
 やはり手遅れ、病院の皮膚科で、夜も眠れないかゆみ痛みを訴えて、「カロナール」という錠剤を処方されました。それを調べると、典型的な帯状疱疹の痛み止めでした。医者が知っていたかどうかは分かりません。
 しかしその薬から思い当たる事がありました。帯状疱疹は普通帯状に広がりますが、離れた箇所に水泡が飛ぶ事はありません。ではなぜ左上腕部だけでなく、左腕是全体や左手、そして右手、両足にも広がったのでしょう。
 おそらく軟膏を塗った事で水泡が破れ、塗った手を介して、ウイルスがそうした箇所にも広がったと見るのが妥当だと思いました。
 決定的だったのは、水泡が次第に縮小し、無くなりつつある時、かえって痛みが増加した事です。
 夜中に患部からピンピンはねるような痛みが襲ってくるのは、以前の神経痛と類似していました。
 カロナールを飲み続けて、やっと皮膚の色の黒ずみが消えてゆき、普段の皮膚の色に近づいてきました。
 幸いな事に、神経痛も少しずつ和らぎ、次第に夜眠れるようになりました。
 一応治まったようです。心配してコメントして下さった皆様に感謝します。
 ブログは1週間に1回くらいの更新になるかと思いますが、何とか続けたいと願っています。この励ましも嬉しかったです。
 福島に移住し、原発の事を見据えてきたので、そこで考えた事柄が主体となりますが、考え過ぎないよう気をつけます。
 また宜しく!