ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

勿来海水浴場の海開きー現実は

 「それゆえ、この地は喪に服し、ここに住む者はみな、野の獣、空の鳥とともに打ちしおれ、海の魚さえも絶え果てる」(ホセア4:3)

 2016年7月16日、私の住む勿来から歩いて20数分のところにある海水浴場の海開きがありました。
 福島県浜通りと言われるほど美しい海が、南北に長い砂浜に広がり、いわき市北端の久ノ浜から、四ツ倉、薄磯、豊間、永崎、小浜、南端の勿来まで、合計9つの海水浴場があります(*県全体では18箇所)。
 今回福島原発の視察で初めて、四ツ倉、久ノ浜を見ましたが、他はこれまでに見学に行っています。
 この夏は四ツ倉と勿来だけ海開きがありました。なぜでしょうか?
 福島県ではいわき市を越えると、広野町楢葉町富岡町…と、いずれも津波被害だけでなく、福島原発放射能による被害が大きく、海開きは不可能となっているからでしょう。他にも諸々の工事がある為と見ていますが、広野町の岩沢海水浴場は、道の途中で進入禁止、海まで下りて行けませんでした。
 いわき市では上記海開きが出来ない箇所は、現在防潮壁の工事が続いているからです。重機が唸りを上げて闊歩しているそばは危ないし、駐車場が確保出来ませんから。地元の人々がその慣れ親しんだ海を見たいと思っても、工事の為入って行けません。たまたま観光名所で入ってゆけた塩屋崎灯台(喜びも悲しみも幾年月という歌謡曲で有名)の断崖下から北に広がる薄磯海岸線も限りなく美しかったですが。

 写真右の中央が灯台。右手の防潮壁工事で台無し。
 というわけで、勿来海水浴場の海開きには、いわき市長の清水氏も来て、安全を祈願する神事に加わった後、テープカットで立ちました。

 写真左の中央がいわき市長。左が海開き宣言をしたサンシャインガイドいわきの坂本さん。
 いわき市長はこの海開きを、いわき復興のイベントの一つとして、重視していましたが、ここでは完成した防潮壁の僅かに切れているところを海水浴場にしているわけですから、非常に狭く、江ノ島のような活況はありません。水深メートルのセシウム137の観測結果は、毎日示していますが、検出できないトリチウムを含め、どれほど安全なのか全く不明です。

 砂浜は右写真のようにずっと続き、遥か先に常磐共同火力勿来発電所が見えます。その右側は、海沿いの町が津波で全滅したと言われる岩間地区。
 そしてこの海岸の防潮壁の内側は、勿来では津波被害があった為(それほど高くはない)、土台ばかりの家の跡や、更地で売りに出している物件、荒廃した田畑が続いています。民宿も開業していないところがあります。

 結局護岸・防潮壁工事ばかり目立ち、海側も内側も東日本大震災で受けた打撃で、5年5ヶ月経ても復興どころではなく、死んだようにひっそり静まり返っています。地震津波放射能の自然災害と、政府当局の見識のない復興施策で、実質海は死んだ…浜通りは名称を変えて、フクシマ防潮壁通りとでもすべきです。
 復興いわき海の俳句全国大会大賞作「月明や土台ばかりの四百戸」(上記豊間地区の方の作品)が、そのイメージを広げます。