ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

平潟漁港、知られざる3・11津波による大被害

 「あなたは私を海の真ん中の深みに投げ込まれました。潮の流れが私を囲み、あなたの波と大波がみな、私の上を越えて行きました」(ヨナ2:3)。

 私たちが東日本大震災を考える時、福島・宮城・岩手を思い浮かべる事が多いのですが、私の住む勿来から直ぐトンネルを通過した先に北茨城市があり、そこでの津波被害も甚大なものがありました。勿来漁港は大きな被害は受けませんでしたが(と言っても勿来海岸は津波被害で民宿がかなり再開出来ず、田畑は冠水したままで雑草が荒れ放題です)、目と鼻の先の平潟漁港は、想像を絶するものがありました。

 地図で確認すると、平潟港、大津港、磯原町二ツ島、磯原海岸から少し先まで、最も激しい津波被害を受けています。3・11の時の防波堤は低く、それを挟んで陸側の過酷はほぼ全壊です。津波の高さは平潟港で6〜7メートルはあったと見られ、背後に断崖が迫っているので、そこに逃げて死者の数は奇跡的に少なかったです。
 変わり果てた海岸に座って海を眺めていた私より5歳年下の男の人は、家が全壊、現在災害公営住宅に住んでいるそうです。その人も状況を詳しく教えてくれましたが、ユーチューブに生生しい映像が残っていました(https://www.youtube.com/watch?v=WqWCvNEgS4Q)。
 地図にある六角堂は高さ7・3メートルの津波で流出してしまいました。国道6号が全線開通した時、学生時代の友人と帰りに寄ったところ、もう復元されていました(ちなみに私の勿来の家は、この六角堂を建てた大工の息子だそうです)。
 さらに南下すると二ツ島の海水浴場があります。ここのホテルも大きな被害を受けました。防潮壁工事の間をぬって狭い海水浴場がありました。勿来もそうですが、台風7号、10号などで砂浜がほとんど無くなり、手前のテトラポットまで波が打ち寄せていました。もはや数年先には美しい砂浜の続く海水浴場など無くなってしまうでしょう。

 最後に磯原海岸です。ここには野口雨情の生家に近い「としまや月浜の湯」という有名な旅館があります。ここも低い堤防の陸側なので、津波は1階の天井まで押し寄せました。クリスチャンのお上さんがすばやく逃げるよう指示した為、ほぼ満員の泊り客は無事でした。けれどもこの夏訪れた時は、周辺が荒廃のまま。防潮壁工事のトラックばかりでした。この旅館も盛況とは見えませんでした。写真中央。
 私の住む勿来の北側もずっとそうですが、南の北茨城市も防潮壁の工事ばかりです。地元の災害からの復興などどこへやらです。国などはこの工事で津波被害は防げると豪語するのでしょうが、台風の時高波は既にテトラポットを超えて、防潮壁の上まで来ていました。とにかく砂が消失、海底は抉られ深くなっています。子どもなんて危なくて泳がせられません。私のように古式泳法から、何でも出来る人間は幾ら深くなっても関係ありませんが(苦笑)。