ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

『原発棄民』(日野行介著)を読んで

 「私たちの神、【主】は、私たちの先祖とともにおられたように、私たちとともにいて、私たちを見放さず、私たちを見捨てられませんように」(列王第一8:57)。

 新聞の書評を読んで、図書館で上記の本を借りて読みました。
 2011年3月11日から今日に至るまで、避難区域、みなし仮説住宅、復興公営住宅自主避難者など、様々な用語が飛び交い、5年半の間に再編とか定義の見直し、新たな法の制定が加わり、福島の当事者たちの中でさえ、それらの言葉の違いを、時系列に沿って正確に把握している人がどれ位いるでしょうか?まして福島なんてもう済んだ事などと嘯いている人々は、そうした言葉の難解さ、曖昧さ、正確な情報の隠蔽等々で、適用によっては、これからの生活が一変してしまう被災者の方々の不安や苛立ちに全く関心を示さず、特に福島特有の原発被災者が棄民化されつつある事など、まるで無かったかのように思っている人々が、相当多くなっています。これは東京五輪の開始と狂騒の中で、「完成の域」に達するでしょう。そこで不都合なのが、放射能汚染水の制御不能廃炉技術の遅々たる進捗状況、除染の無効果と高い放射能の全国への拡散、古里帰還者の僅少さなど、日本に来て見て、政府当局の大嘘が初めて分かってしまう事です。
 だから安倍内閣は福島復興の大号令と共に、そのような不都合な事実を隠蔽しようと躍起になっています。
 偉そうな事を言う私でさえ、最近まで「災害公営住宅」(原発以外の避難者の為)と「災害復興住宅」(原発避難者の為)の違いを知らずに使っていました。
 「『風評被害』などと言う人こそ、真の意味の『風評被害』を作り出している人です。事実を表沙汰にする人を攻撃し、現在人々が苦しんでいることを何でもないことのように言い、すべてをおし隠す人たちが作ったのが『風評被害』という言葉です。この『風評被害』という言葉によって、どれほどの人が真実を言う口を塞がれたでしょうか」(雁屋哲)。
 日野氏が冒頭近くで引用している雁屋哲氏の言葉です。日野氏はそれから著書の中で、特に真実を語れなくなってしまった原発被災者を念頭に、複雑な制度を掘り下げながら、最後に県外に多く散らばっている自主避難(=福島県内12市町村の避難指示区域内からの強制避難者でない方々)に対し、国や県(特に内堀知事)による借り上げ住宅(またはみなし仮設住宅)の無償提供打ち切り(2017年3月末)宣言を記述し閉じています。とにかくこの間の経緯が明確でない為、著書全体をうまく纏める事が難しく、他のサイトも参照しました(例えばhttps://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/160712/)。
 私たちは自主避難者に対する賠償額をよく知りませんが、彼らに東京電力から払われる賠償は最高で大人12万円、18歳以下の子どもと妊婦が72万円、一律定額の一時金だけです。従ってみなし仮設住宅こそ、ほぼ唯一の公的支援になっていました。しかしこの避難者不在の中での非情な住宅支援政策の打ち切りを、日野氏は「原発棄民」と呼んでいます。来年以降路頭に迷う人々の数が相当増えると、私は予測しています。
 この避難を続けている人々は、当然避難先での住宅無償提供の続行を望んでいますから、内堀知事は「若い世代、働く世代が大きく減少している。福島復興にはマイナスの影響がある」と言いましたが、日野氏はそれを「自主避難する母親たちは復興の同志ではない」と解釈しています。だから自主避難者たちの声は、復興の大合唱の中でもみ消されてゆきます。
 では強制避難者の場合はどうかと言いますと、「月10万円の精神的損害賠償や不動産などの財物賠償などが支払われ」ています。それも復興加速化のためには邪魔なのです。
 だから従来の「避難指示解除準備区域」の除染と帰還促進という図式が、最近の動きとして「居住制限区域」も一緒に解除してしまおうという形になっています。その場合の除染基準は年間20ミリシーベルトです。さらに年間50ミリシーベルト以上の「帰還困難区域」でさえ、除染で下がった場所から、順に解除してしまう方針が政府から出ました(http://www.minpo.jp/globalnews/detail/2016071701001387)。この解除で月10万の賠償も1年後に打ち切りになります。
 かつての年間1ミリシーベルトという基準が、20ミリシーベルト以下となり、異議を唱える人々は「物言えば唇寒し」で、棄民となり抹殺されてゆきます。民主主義の破壊です。医者の側からの異議申し立ても、最近ほとんど見かけなくなりました。放射能との関連性なしという調査結果が、幅を利かせています。
 「国(いまの自公政権)は、とにかく早く「福島」を終わりにしたいのだ。「避難」している人間はいないという「かたち」を作りたいと考えているのだ」(http://krmtdir90.exblog.jp/24176124)。
 *日野氏の言わんとする事はだいたい押えましたが、私の理解にミスがあるかも知れません。忌憚の無いご意見をどうぞ。