ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

いわき市南台に残っている双葉町の仮設住宅

 「その日、わたしはダビデの倒れている仮庵を起こし、その破れを繕い、その廃墟を復興し、昔の日のようにこれを建て直す」(アモス9:11)。
 福島県双葉町は全町避難になっているので、その対象者の仮設住宅が7年近い現在もまだ建っています。

 ネットの情報では最初この仮設住宅には約245世帯約430人が住んでいて、今年7月末の段階では87世帯130人と約3割に減ったようです。

 私が視察した10月の時、入り口から右側の一角に閉鎖したと思われる店舗があったのを覚えていました。ネットで調べてみたら河北新報に載っていました。店主は双葉町でブイチェーンというスーパーを営んでいて、3・11で避難を余儀なくされ、この南台に双葉の避難者専用の仮設が出来る事を知って、双葉の人々の益のために引っ越してきたそうです。
 仮設の方々は相当喜んで利用して来たわけですが、上記のように新しく別の地で住宅を購入したり、公営住宅入居が決まったりして出た人が多くなり、経営的には成り立たなくなったそうです。
 国や東電のせいで生じた原発事故ですから、本来こうした店舗でも大いに支援してくれればと思いましたが、中小企業に全く冷たい態度がここで伺えます。残ってしまった3割の人々は、しばし非常に不便な生活を余儀なくされるでしょう。http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201707/20170731_63001.html
 私はしばしと述べましたが、その理由は次回に回します。
 それよりも、まる5年以上にわたりここで生活をして来た人々の事を思います。いわき市南台というのは、私の住む勿来町から車で30分以内で行けるところにありますが、全く繁華街ではありません。この3丁目に仮設住宅、1〜2丁目は大きな住宅があり、茨城県の或る借り上げ住宅に住む被災者が購入していました。その人の話では中古の物件が、長い間売れずに残っていたので買えたという事です。たぶん市街地からかなり遠いというのもその理由だったでしょう。
 もう一つ全町避難となっている大熊町の人々の為の仮設もそうです。やはりいわき市の人里離れた地にあります。
 対照的なのがJR泉駅反対側すぐのところにある、富岡町避難者の為の仮設住宅でした。私はここではコミュニケーション可能でした。
 掲載した写真にはエアコンの設置が見られます。冬寒く夏暑い生活を長期にわたり強いられていたでしょう。海に近い私の勿来町とは、浜通りといってもだいぶ気候は異なると推測しました。
 ここで8月に行なわれた伝統的な盆踊りの様子がユーチューブでみられます。https://youtu.be/n23isy1lEbM
 高齢者が多いのは勿論ですが、これが最後になるという事で張り切っておられたのかもしれません。一見元気そうに見えました。よくぞこれまで貧相な仮設で頑張って来たと思います。
 末永く元気で希望を抱いて生きて欲しいと切に願います。