ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

大熊町民の今後

 「バビロンの王ネブカデネザルが引いて行った捕囚の民で、その捕囚の身から解かれて上り、エルサレムとユダに戻り、めいめい自分の町に戻ったこの州の人々は次のとおりである」(ネヘミヤ7:69)。

 福島県双葉郡大熊町は全町いまだ帰還困難となっています。JR常磐線大野駅から南、福島第一原発から5キロの所に、私の所属する教会の被災した会堂があります。会堂はそこに住んでいた人及びその関係者しか入る事が許可されていません。放射能が高いので、全員防御服を着て、短時間の滞在だけとなっています。私は全く部外者なので、まだ一度もその会堂を見た事がありません。左写真はコンサートに来てくれたピアニストが大熊町の会堂も訪れ、防御服を着たままアメイジンググレイスなどを演奏してくれた時のものです。
 ですから教会員たちは原発事故発生により皆避難し、各地に散らされました。
 そして60名ほどで集団移動した牧師を含む会員たちは、会津、米沢、奥多摩を経て、現在常磐線泉駅から歩いて15分のところに新会堂を建てました。たまたま2駅目のところに引っ越して来た私は、そこに通う事にしたわけです。
 その為いわきに一緒に来た会員は、いわき市で新しく家を建てたり、借りたりして新生活を送っています。牧師を始め古参の会員たちは皆「筋金入り」の信仰者なので、さんざん辛酸を舐め、数多くの試練に出遭ったものの、救い主イエス・キリストをしっかり見据え、1歩ずつ前進しています。
 初代の宣教師がいつかはいわきでも伝道をというビジョンを持っていたので、ここでも祝され、180名は入る会堂がもうすぐ会衆で一杯になりそうです。
 一方で大熊町は広大な中間貯蔵施設が稼動し始めたばかりです。福島第一原発の所在地なので、廃炉が達成しない限り(私個人としてはそれはこの30年くらいは絶対無理だと思っています)、すぐ南の第二原発と共に危険を抱えたままですから、特区など作り除染したところで、老いも若きも戻っては来ないでしょう。町破れて山河無しです。
 大熊町のホームページの12月1日更新のものを閲覧すると、県外避難者数2,564人、県内避難者数7,966人(いわき市が最も多いです)、応急仮設住宅入居者数331人となっています。応急仮設住宅は1年9ヶ月経過した今も存在し、会津若松市いわき市にあります。私はいわき市の渡辺町にあるものを視察して来ましたが、勿論車がないと不便極まりない、奥まった所に建てられています。

 私が見て来た仮設住宅で駅に近いのは、富岡町からの避難者専用住宅くらいと記憶しています。

 大熊町の331人の留まる理由はいろいろあるでしょうが、この冬は昨年に比べいっそう寒いとの気象予測も出ており、一人一人の健康状態が心配です。この人々の犠牲の上で東京に電力が供給されて来たという紛れもない事実を、再度銘記して欲しいと思います。私は地震で半壊状態の家を修繕し、何とか正月をこたつをしつらえて過ごせそうですが、やはり肩身狭い思いです。胸中非常に複雑です。
 原発のもたらした悲劇、人々の心を引き裂いた悲劇、もうこりごりです。第一原発廃炉過程でのひやりはっとは日常的、一刻も早く全ての原発廃炉にしなければ!