ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

東日本大震災で壊れた益子焼の再生

「その破滅は、陶器師のつぼが容赦なく打ち砕かれるときのような破滅。その破片で、炉から火を集め、水ためから水を汲むほどのかけらさえ見いだされない」(イザヤ30:14)

 19年2月14日の東京新聞は「被災の益子焼 『持続可能な美』創る 東日本大震災の陶片で作品」という見出しで記事を載せていた。

 栃木県益子町は、2011年3月11日震度5強という大きな地震に見舞われた。地震学者はその凄さを確かめる為に、よく墓地の墓石を見に行くが、ネットで見てもその強烈さが良く分かる。

 益子焼で有名な窯元の登り窯は、ほぼ全半壊の状態になってしまったそうだ。益子焼の器は一瞬にして瓦礫の山となった。それで多くの人がそこを去った。

 当時私は千葉県松戸市にいたが、それ以前は茨城県鉾田町にいた。それでよく笠間市に行って、笠間焼きの光景を写真に撮ったりしていた。勿論そこも相当な被害を受けた。

 家の隣の若い陶芸家はバイクで事故を起し、やっと退院という時に大震災に遭遇した。電気窯を自宅に据えて、毎日陶芸に励んでいた。私にとって衝撃的だったのは、その彼の窯にあった陶器が壊れ、自分自身も体調が昔のように良くならず、前途を悲観して自殺してしまった事だった。

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 教会で求道中だったとの父親の話だった。駅前にあったその教会が少し離れた所に立派な会堂を建てた。そこでの葬儀だった。私は松戸からそこに行った。交友の日々を思い出すと、震災さえ無ければ、元気とは言わずとも、陶芸を続けていただろうにと思った。父母とも良く知っているので、息子に先立たれた無念さを思うと、涙がこぼれた。写真は2005年のもの。

 東京新聞は割れた益子焼の陶器の破片を土に混ぜ、新たな美術品を制作する試みが、英国の建築家の手によって成されている事を伝えていた。

 作品は東京銀座の資生堂ギャラリーで、3月17日まで展示されている。

 「益子焼の陶片の粉と、益子町の土を混ぜて陶土をつくり、石こうの型に液状化した陶土を流し込む成形法」で、復活した登り窯を用いて製作したというのが独特である。

 再生された日常品で新たな美しさを表現するという発想は、とても大切だと思った。これなら又大震災がやって来て、壺が容赦なく打ち砕かれても、否壺でなくても、一時の悲しさから抜け出し、新たな創作が出来るという希望を持たせてくれるからだ。