アイヌと沖縄の歴史
「これらから海沿いの国々が分かれ出て、その地方により、氏族ごとに、それぞれ国々の国語があった」(創世10:5)
昔北海道は蝦夷の地と呼ばれていた。そこには先住民族としてアイヌ人が住んでいた。そして独自の言語と文化を持っていた。
江戸時代に和人である松前藩も、この蝦夷の地の一角を占めていた。
アイヌ民族が最初迫害に遭ったのは、この松前藩の横暴な政治によるもので、1669年のシャクシャイン戦争でアイヌは自立を計ったが鎮圧された。しかしめげる事なく戦いは続き、1789年クナシリ・メナシの蜂起が起こった。でも惨憺たる敗北で、この時点からアイヌ民族は、絶滅に近い打撃を受けた。
明治時代に至ると、1869年国家はこの蝦夷地を北海道と変えた。そしてアイヌ人はいっそう貧困状態に陥った。見かねた政府は「北海道旧土人保護法」を制定したが、彼らの尊厳は保たれず、帝国臣民に組み込まれた。
戦後の1970年代から、民族の権利を求める運動が盛んになったようで、「北海道旧土人保護法」から「アイヌ新法」への制定を求めるようになった。
そして2019年2月、この新法は国会に提出されている。
これは日本列島の北の端の問題だったが、南の端の沖縄はどうか?ここには昔琉球王国というものが存在した。
そこも薩摩藩の支配に組み込まれてしまった。
そして明治政府によって琉球王国は滅亡させられ、北海道の事例と同じように、1879年沖縄県という名称に勝手に変えられた。
1945年日本の敗戦により、沖縄には米軍基地が多く作られ、現在普天間から辺野古への基地移転問題で、沖縄は塗炭の苦しみに遭っている。
アイヌと沖縄の歴史を探ると、以上のような共通点が見つかる。
それは例えば少し古い研究だが、2012年11月のネイチャー誌に載った論文でも示される。 総合研究大学院大学と東京大学による成果である。
ヒトの染色体および遺伝子から成る全遺伝情報ゲノムには、およそ30億の塩基対がある。A (アデニン)、G (グアニン)、T (チミン)、C (シトシン)の 4 種類の塩基 がDNAの中に存在するが、その塩基の一つだけ違っても、多様性が生まれる。それを一塩基多型(SNP=スニップ)と呼ぶ。SNPを活用して調べると、以下の事が分かった。日本列島の北端から南端までおよそ4千キロにわたるが、そこは3つの人間集団、つまりアイヌ人、本土の日本人、琉球人の母国となっており、縄文時代の或る時期に、同時に枝分かれした事、そして先住の縄文人と、移住して来た弥生人の混血が、それ以後の或る時期に生じたと思われる事、地理的に遠く離れていても、アイヌ人と琉球人の遺伝的類似性が、SNPデータから見て最も高い事(両者共縄文人の血を引いている事は、他の人類学的データなどからも裏付けられる)、両者の中間に属する本土の日本人は、縄文・弥生時代人の混血の結果形成された事。
改めて本土日本人がアイヌと琉球の人々に対して採って来た、政策の罪深い高慢さがよく分かった。特に今沖縄では「琉球新法」又は「琉球国としての独立」に向けて、産みの苦しみをしているのではないか。アイヌとの連帯も必要だろう。