あまりに杓子定規な被災者生活再建支援法
「 わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちはミント、イノンド、クミンの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、正義とあわれみと誠実をおろそかにしている。十分の一もおろそかにしてはいけないが、これこそしなければならないことだ」(マタイ23:23)。
今度の台風19号は記録的な豪雨となり、各地に甚大な被害をもたらした。いわき市でも想定外の中小河川の氾濫が多く見られ、床上・床下浸水など厖大な数に上る。いわき市の国宝白水阿弥陀堂などは、池の水がポンプの故障で溢れ、一時境内は膝ほどの水で一杯になるという、信じられない光景も出現した。
今後もボランティア活動による支援が長く続く筈である。
政府は台風19号による災害を、熊本に続いて2例目となる非常災害に指定したが、10月19日には激甚災害にも指定し、自ら乗り出した。掛け声は勇ましいが、ここで深刻な問題点が浮き彫りにされた。
それは今度の水害による被災者生活再建支援法の、およそ実体と懸け離れた「ざる法ぶり」である。
かつて大震災や経年劣化で、半壊状態の我が家の床を剥がし修繕した事があるが、その経験から、床下に入り込んだ泥土を外に出すのは不可能ではない。泥が大引きとか根太といった土台の材木と接触していれば、腐食するので交換は必要である。畳が無事ならあまり費用はかからない。床上29センチなら畳は浸って駄目になる。或る先輩クリスチャンの家は、外の物置がそれくらい浸かり、金に換えられない貴重な本や文書が駄目になった。法はその再建に対して支援金がゼロだ。
問題は今回のような床上浸水の場合である。この支援金が3段階に分かれている。①床上30センチ以上100センチ未満(=半壊)。支援金ゼロである。全国で2万9千棟以上がその高さで浸水し、家財がほとんど駄目になった。ボランティアで行ったいわき市赤井地区では、トイレの汚染水が逆流、そして断水が続き、空中を粉塵が舞い、被災者は洗って再度使うなどと考える余裕もなく、ごみ捨て場に捨てた。行政が乗り出してごみを運び出した後では、有料となるからだ。いたるところゴミは山のように積まれていた。②床上100センチ以上180センチ未満(=大規模半壊)、ここでやっと支給額の最大が250万円である。③床上180センチ以上(=全壊)で、300万円までとなっている。
そこで各新聞は、床下と床上100センチ未満住宅が合計9割を超えている事から、支援の有無に100センチの壁といった見出しで、実情とは程遠い事を一斉に報じていた。ざる法もよいところである。
11月7日の朝日新聞には、自治体職員が浸水の深さを厳密に測っている写真が載っていた。これを杓子定規と言わないなら、何と言えばよいのか。
実は主イエス・キリストにも、「さばいてはいけません」と言いながら、例外的に激しくさばいた人たちがいた。それが律法学者・パリサイ人である。「また彼らは、重くて負いきれない荷を束ねて人々の肩に載せるが、それを動かすのに自分は指一本貸そうともしません」(マタイ23:4)とあるように、背負いきれない重荷を一杯庶民の肩に負わせ、自分たちは安閑としていた。旧約の律法に自分たちの都合の良い細かな規定をたくさん追加して、庶民を苦しめた。
政府も役人も、イエスのみことばによれば「永遠のゲヘナ」で限りなく苦しめられる事になろう、悔い改めない限り。