聖書と奴隷制
「オネシモがしばらくの間あなたから離されたのは、おそらく、あなたが永久に彼を取り戻すためであったのでしょう。もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、愛する兄弟としてです。特に私にとって愛する兄弟ですが、あなたにとっては、肉においても主にあっても、なおのことそうではありませんか。ですから、あなたが私を仲間の者だと思うなら、私を迎えるようにオネシモを迎えてください」(ピレモン15-17)。
奴隷制度の起源は古代ギリシャの都市国家には見られる。ウイキによれば、有名なアリストテレスでさえ「ポリス市民は完全な人間であり、奴隷は支配されるように生まれついた不完全な人間である」と言ったそうだ。
一方聖書では、人が創造された時、そんな差別はなかった。しかし罪が世に入り、人間が堕落すると、そうした差別の芽生えは、ユダヤ人の父祖アブラハムにもあった。
「アブラムにとって、物事は彼女のゆえにうまく運んだ。それで彼は、羊の群れ、牛の群れ、ろば、それに男奴隷と女奴隷、雌ろば、らくだを所有するようになった」(創世12:16)。その時の奴隷という言葉だが、男の場合ヘブル語エーヴェッドは、一般的に「使用人」と訳される事が多い。いわゆる英語の奴隷slaveとは違う。女の場合ヘブル語シフハーは「お手伝いさん」「メイドさん」といったイメージである。だから翻訳では訳者の姿勢がそこに反映される。しかし実態として本当に自由のない奴隷だったなら、罪の結果としての差別心が人々の奥底に生じた結果と解釈する。以後古代ローマでも、中国でも奴隷は存在した。
新約聖書の時代、伝道者パウロはその活動ゆえに投獄され、ローマの獄中でオネシモという奴隷(ギリシャ語ドオロスは確かに奴隷の意味合い)に出会う。彼の主人がピレモンである。ピレモンはパウロの伝道で救われた親しい友である。そこでパウロはピレモンに手紙を書いて冒頭の聖句の言葉を残した。この短い手紙を通し、パウロはオネシモを兄弟或いは仲間として扱うよう要請している。ここから見ると、パウロは本音として奴隷制度に反対していたようだ。残念ながらそれは後のキリスト教界で発展しなかった。
以後時代を経てアメリカへ飛ぶ。1619年ヴァージニアに初めて黒人奴隷が連れてこられたが、その当時はまだ奴隷制度は確立していなかったそうだ。しかし既に黒人に対する人種差別は存在したようだ。南部では綿花などの大規模プランテーション経営が行われ、その労働力として黒人奴隷が運ばれて来た。そして1705年に人種奴隷制というものが、法的に確立した。以後南北戦争による奴隷制度廃止まで、アメリカは奴隷国家となる。
その戦争の終わりの年1864年12月に、リンカーンが指示した憲法修正第十三条の成立をもって、奴隷制は廃止された事になっている。なんとカール・マルクスがその時リンカーンにエールを送っていた。リンカーンは残念ながら翌65年4月狂信的な南部白人の手により暗殺されてしまい、夢見た奴隷解放のさらなる施策は、不徹底になってしまったと言えるのではないか。
このブログは岩波新書『南北戦争の時代』(貴堂嘉之著)を参考にしているが、その本の「おわりに」が極めて示唆に富んでいると思う。つまりこの戦争では北部も南部も膨大な戦死者を出し、双方共心に深い傷を負い、怨嗟の声は途絶えず、今日に至るまで尾を引いているという考え方だ。たとえば「南部のトランプ支持者の多くが南軍旗を掲げた」とあるように、白人至上主義者たちは米国の未来に向かって明るい展望を開いてゆくのではなく、明らかに南北戦争期を古き良き時代として、いつまでも後ろ向きの姿勢を示している。聖書におけるパウロの模範は「兄弟たち。私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし」(ピリピ3:13)であり、互いに愛し合うべきだという彼の厳しい戒めの前提に、「私たちも以前は、愚かで、不従順で、迷っていた者であり、いろいろな欲望と快楽の奴隷になり、悪意とねたみのうちに生活し、人から憎まれ、互いに憎み合う者でした」(テトス3:3)という罪への悔い改めがあった。だから、明らかに白人(信徒か?)たちは罪を犯している。常に聖書全体から均衡を保って、起きている事象を捉えようと努めている、黄色の一信徒には、それが全く理解出来ない。
表向き白人・黒人の差別は無くなったにせよ、とりわけ南部において根強く白人の心の中にそれが残っているから、現在アメリカで生じている、白人警官による黒人男性の殺害等々、黒人の生命のあまりの軽視に対して、巨大な抗議のうねりが生じたのだろう。