ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

神が言われる王の権利

【主】はサムエルに言われた。「民があなたに言うことは何であれ、それを聞き入れよ。なぜなら彼らは、あなたを拒んだのではなく、わたしが王として彼らを治めることを拒んだのだから。わたしが彼らをエジプトから連れ上った日から今日に至るまで、彼らのしたことといえば、わたしを捨てて、ほかの神々に仕えることだった。そのように彼らは、あなたにもしているのだ。今、彼らの声を聞き入れよ。ただし、彼らに自分たちを治める王の権利をはっきりと宣言せよ。」サムエルは、自分に王を求めるこの民に対して、【主】のすべてのことばを話した。彼は言った。「あなたがたを治める王の権利はこうだ。あなたがたの息子たちを取り、戦車や軍馬に乗せ、自分の戦車の前を走らせる。また、自分のために千人隊の長や五十人隊の長として任命し、自分の耕地を耕させ、自分の刈り入れに従事させ、武具や戦車の部品を作らせる。また、あなたがたの娘たちを取り、香料を作る者や料理する者やパンを焼く者とする。あなたがたの畑やぶどう畑や良いオリーブ畑を没収し、自分の家来たちに与える。あなたがたの穀物とぶどう畑の十分の一を取り、廷臣や家来たちに与える。あなたがたの奴隷や女奴隷、それにあなたがたの子牛やろばの最も良いものを取り、自分の仕事をさせる。あなたがたの羊の群れの十分の一を取り、あなたがた自身は王の奴隷となる。その日、あなたがたが自分たちのために選んだ王のゆえに泣き叫んでも、その日、【主】はあなたがたに答えはしない。」(サムエル第一8:7~18)
少し長くなったが、旧約聖書のこの個所は、これまでの神政政治から、民の反逆により王政に移行する段階で、主なる神が言われた事である。

イスラエルの民は自分たちのために(王)を選んだとある。そこで神は彼らの為すままにされた。しかしそこで王の権利を規定されたのである。内容は多岐にわたるが、最後の部分で「あなたがた自身は王の奴隷となる」と明言された。

この「奴隷」という訳については以前触れたことがある。ヘブル語エーヴェッドは英語でslave,servantとある。これを読むと、民が待望した「王」は、民の為、民の益の為ではなく、「廷臣や家来たち」つまり身内の者たちの為であった。だからその他の平民は王の奴隷とかしもべになる。

それから時代が経過したが、聖書の基本は変わりがない。常に真理である神を捨てたわけだから、民が選んだ王は不義に満ちている

ネットで民主主義を一瞥すると、「民主主義とは、国民が主権(国家を治める権力)を持ち自分達のために政治を行うこと」とあった。日本では選挙で長を選び、彼らに政治を任せるという、間接民主主義体制である。しかし「自分達のために政治を行う」という定義は、もはや死語となっている。だから日本国民はそうなっていない事を嘆き怒る。

けれども聖書を知っていれば、たとえどんなにひどい政治が行われようと、平常心でいられる。やるべき事は王が善政を行うようにとの祈りである。

現首相が神の警告された通りに事を行っているのは事実だ。これでもか、これでもかと言わんばかりに「罪=不法」を横行させている。

しかし神は生きていて、天からじっと動向を見ておられる。詩篇作者は「私が呼ぶとき答えてください。私の義なる神。追いつめられたときあなたは私を解き放ってくださいました。私をあわれみ私の祈りを聞いてください」(詩篇4:1)と祈った。ここで神の属性は義である。生きて働いている義なる神が、いつまでも「不義」を看過、放置しておくわけはない。

「愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。『復讐はわたしのもの。わたしが報復する』主はそう言われます」(ローマ12:19)。終わりの日に全てを正し、不義を繰り返す者たちに復讐される神に全てを委ね、そこに希望を置く。